昭和寅次郎の昭和レトロブログ

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ロードムービー風に仕立てたリアリティあるヒロシマの原爆映画!反戦・反核映画②「原爆の子」

 

8月の映画紹介は反戦反核映画!

 

8月は時期が時期だけに反戦反核映画を

取り上げることにしました

 

番号が②となっているのは

昨年書いた以下の映画についての記事を

反戦反核映画紹介の第一弾としたいからです

 

shouwatorajirou.com

 

戦争の話を嫌がる若い方もいるそうですが

私がこの映画紹介を通じて

若い人にも昭和の日本映画を見てもらいたい!

と思っているのは昭和歌謡好き

昭和レトロ好きと映画好きの方です

 

以前SNSで昭和好きの若い方と

交流していたときに「私は戦争の時代にも

興味があります」という方がいましたので

そういった方に伝わればいいなと…

 

あと今年は米アカデミー賞

作品賞を獲ったのがアメリカの核開発に

関わったオッペンハイマー氏の

伝記映画だったということもあり

反戦反核映画でいこうと思いました

 

さて本題に入りますが

今回紹介するのは新藤兼人監督の

原爆の子」(1952年)です!

 

(映画「原爆の子」から主演の乙羽信子さん(右)と少年)

 

まずはストーリーから

 

おおまかなストーリー

 

瀬戸内海の島・能美島

教師をしている孝子(乙羽信子)は

夏休みを利用して父母や妹のお墓参りも兼ねて

7年ぶりに広島に訪れることにする

 

広島に着くと街は復興しつつあり

かつて幼稚園の先生をしていたときの

子どもたちも中学生に成長し

元気に川で遊んだりしていたが

まだ瓦礫の山も残っていて

8月6日のことを思い出さずには

いられなかった

 

広島の街を歩いていると孝子は

岩吉という知り合いの高齢男性が

物乞いをしているのを見つける

 

岩吉は息子夫婦を爆撃で失い

孫の太郎と細々と暮していたが

孝子が引き取って島の学校に

通わせたいと頼むと初めは

反対していて、孫もおじいちゃんと

離れることを嫌がったが

やがては孝子の提案を受け入れ

瀬戸内海の島へ船で旅立ってゆくのだった

 

乙羽信子さん(右)と岩吉を演じた滝沢修さん(左))

 

映画の感想

ロードムービー風の作りと広島の風景がリアル

 

この映画は私なりに感じたことを

簡潔に言い表すなら、ロードムービー風で

復興しつつもまだ瓦礫が残る広島の街の

風景が戦後のイタリアのネオリアリズム映画

ロベルト・ロッセリーニ監督の

無防備都市」など)を思い出させました

 

こういったリアリティのある作品を撮れたのは

原爆投下から7年後に作られているからだと

私は思います

 

終戦直後の空気感に満ち溢れていて

瓦礫の風景も本物です

 

いま同じような作品を撮ろうとすると

CGに頼らざるを得なくなりますが

CGでは当時の雰囲気が出ません

 

新藤兼人監督は「いま撮らねば

という使命感に駆られたそうです

 

そのときに撮ってくれて

本当によかったなぁと思います

 

このように撮るべきときに撮ると

後に映像資料としての価値が出ます

 

だからたまに見る最新映画でも私は

「令和」という時代の空気感を

捉えた作品が好きです

いまの時代のことを題材に撮るには

いま撮ることがいちばんだと思うのです

 

(劇中で広島市内に残る瓦礫のなかを歩く乙羽信子さん)

 

②同じ原作を扱ってもアプローチによって作風が変わる

 

昨年紹介した関川秀雄監督の「ひろしま

(1953年)と原作はまったく同じ

「原爆の子」という子どもの原爆体験の

作文集なのですが。「ひろしま」は

原爆投下の再現ドラマに仕上がっていました

 

同じ原作でもアプローチを変えれば

こんなにも違う映画になるのだなぁと

映画はやはり脚本や演出に大きく

左右されるものだなぁと改めて思いました

 

話を戻しますが新藤兼人監督の本作は

7年ぶりに教師が広島を訪れるという

ストーリーですが、復興が進みつつあり

元気な子どもたちの姿にホッとしますが

まだ街には瓦礫も残っており

原爆の破壊力と恐ろしさを

やはり思い知らされます

 

ちなみに映画では爆撃のシーンが

ご丁寧にも少し挿入され

どうしてそのように荒廃した土地が

残っているのかを説明してくれます

 

③投下後も長く人々を苦しめることを教えてくれる

 

この映画では被爆者であることがわかる

ケロイドの顔の人物や原爆症で苦しむ

人々も出てくるので、原爆という兵器は

投下された後も人々を長い間苦しめる

恐ろしい兵器であることを教えてくれます

 

もう二度と使用されてはならないと

日本が先頭に立って訴えるべきです

唯一の被爆国である日本こそが

いちばん説得力を持って世界に発信できます

 

映画のエピソード

新藤兼人監督は脚本執筆にあたって被爆者を取材

 

この映画の監督だけでなく

脚本も担当した新藤兼人監督は

脚本執筆にあたって広島を訪れ

被爆した子どもたちの話を聞いたそうです

そして子どもたちは原爆の悲惨さを

訴えるために積極的に映画にも

出演してくれました

 

映画のリアリティはこうした取材

実際の広島の子どもたちが出ている

ことも要因としてあるのでしょうね

 

②低予算の独立系映画なのにスター女優が出演!

 

この映画は新藤兼人監督を中心にして

設立された近代映画協会という

独立系の映画会社による低予算の映画で

当然のことながら出演者は劇団民藝

俳優さんや広島市民の方々が中心なのですが

そんな映画に大映のスター女優だった

乙羽信子さんが会社を辞めてまで

主演してくれたのです!

 

乙羽さんは現在BS12で放送中のTVドラマ

「ありがとう」(1970~74年)や

朝ドラ「おしん」の晩年役で記憶されている

方が多いかと思いますが

それはまぁ置いておきまして

彼女は「百万ドルのえくぼ」と呼ばれたほどの

えくぼが可愛らしいアイドル的女優から

本格的な演技派女優になる道を模索していて

大映の永田社長に直談判してまで

「原爆の子」への出演を志願しました

 

乙羽さんはまだ大映での契約が数年残っていて

会社を辞めると契約違反となり

莫大なお金を払わなければならないと

分かった上で「何十年かけてでも払います」と

大映の永田社長に告げて退社し

フリーの女優になる道を選びました

 

会社に所属していれば高額のギャラが

入るのに自身の演技的成長を優先した

この女優魂あふれる行動や

乙羽さんの人としての生き方も

私はものすごく尊敬していまして

いずれ乙羽さんのことをじっくりと

紹介したいと思っています

 

話が脇道へ逸れましたが

乙羽さんが出演してくれたことで

映画が地味になりすぎずに

大きな華をもたらしてくれました

 

③映画は興行的に成功!海外で賞まで受賞!

 

いざ映画が公開されると

どこでも満員に次ぐ満員の大盛況となり

さらには海外にも出品されて

英国アカデミー国連賞を受賞するなど

大成功となりました

 

劇場で大入りとなったのは

乙羽さんの出演が大きいのではないかと

私は思っています

 

やはりスターの力は大きいですから

 

というわけで今月は反戦反核映画を

紹介していく予定ですが

シリアスすぎて敬遠されてしまうかも

しれませんから、読んでくださる方が

少しでもいらっしゃれば嬉しいです

 

参照:

新藤兼人著『新藤兼人・原爆を撮るを参照』