昭和寅次郎の昭和レトロブログ

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昭和女優ファイル大映編②京マチ子(OSK時代から)~大阪松竹歌劇団(OSK)の踊り子から肉体派女優へ~

 

今年で生誕100年!京マチ子さん!

 

今年は越路吹雪さんに淡島千景さんに

高峰秀子さんに、生誕100年を迎えた

昭和のスターを次々と紹介してきましたが

まだ今年生誕100年を迎える大物が

いるのです!女優の京マチ子さんです!

 

5年前の2019年に亡くなられましたが

その際に米アカデミー賞での

追悼コーナーで紹介される一コマが

あったようで世界的に知名度の高い

そんな女優さんです

 

まずはプロフィールから

 

京マチ子プロフィール

 

(この脚線美、肉体美こそ京マチ子さん!)

 

京マチ子(本名:矢野元子)は1924年3月25日

大阪市港区に生まれた

 

一人娘だが3歳のときに両親が正式な結婚が

できないままま別れ、1929年に父が

ブラジルへ渡って音信不通になったため

母と祖母・マツによって育てられる

 

しかしいじけることなく

自分が正しいと思えば男の子とでも

取っ組み合いの喧嘩をするような

元気な子として育つ

 

1930年に港区の石田小学校に入学

度々の転居で1936年に吾妻小学校を卒業

 

踊りが好きだったことから

卒業と同時に大阪松竹歌劇団(OSK、

1942年に大阪松竹歌劇団(OSK)と改称)

予科生募集に応じ、2000人以上の

受験者のなかから80人が選ばれ

そのうちの最年少の合格者として入団した

 

京マチ子という芸名はこのとき母と祖母が

夜通し考えてつけてくれたものだった

 

半年間の養成期間を経て同年

大阪劇場での公演「ハッピー・フェロー」に

先住民の子どもに扮して初舞台

ライン・ダンスのその他大勢にも出る

端役だった

 

三笠静子(のちの笠置シヅ子)が

売り出したころだったが、本科生

研究生、技芸員と進み、1940年の

「春の踊り」にはベスト・テンに選ばれ

男役のスター勝浦千浪とデュエットを踊り

娘役として売り出し、生来の負けじ魂と

ずば抜けた脚線美とで1943年には

幹部待遇となる

 

※踊り子姿の写真はすべて大映10周年のときに、日劇で踊ったもので

大阪松竹歌劇団のときのものではありません

 

1944年に松竹下加茂の井上金太郎監督の

時代劇「天狗倒し」に尾上菊太郎と共演の

桑野通子の妹役で映画初出演

 

続いて溝口健二監督「団十郎三代」

(1944年)にも助演

いずれもOSKからの特別出演という形だった

 

戦後の1947年、幹部に昇進

恵まれた上背とすばらしい脚線美とを武器に

レビュー・ダンサーとして本領を

発揮するようになり、戦後の解放ムードの

なかでOSKの先輩・笠置シヅ子がブギウギの

強烈なリズムによる歌と踊りを持って

一躍人気スターとなって間もなく

京マチ子も1948年5月、浅草・国際劇場での

松竹歌劇団(SKD)とOSKの合同公演

「緑のカーニバル」のなかの「デッドエンド」で

ブギウギのリズムに乗せた「黒ん坊の踊り」を

全身を黒く塗りつぶし、大胆かつ闊達に

踊りまくって注目され、東宝・日本劇場の

プロデューサー兼演出家・山本柴朗の誘いを

受けて同年の日劇ショー「世界のクリスマス」に出演

 

 

飛鳥亮・振り付けの「七面鳥ブギ」をソロで

「サンタクロースの踊り」を清水英男との

デュエットで踊り、魅惑的な大きな瞳の

美しい容貌に日本の踊り子にはかつてない

ようなグラマラスな肉体、奔放でダイナミックな

踊りと三拍子そろった舞台姿を見せ

圧倒的な評判を勝ち取った

 

 

このころすでに彼女は大映の誘いを受けて

映画界入りを決意、内諾を与えていた

スカウトしたのは大映京都撮影所次長兼

企画部長の松山英夫で、京マチ子の先輩

勝浦千浪を外部から推薦され、1948年

京都・南座でのOSK公演「秋の踊り」に

出ている彼女を見に行ったところ

京マチ子に目を引かれ、勝浦を深夜

ひそかに京都撮影所に呼んで

カメラテストをした際、ついでに

京マチ子も呼んでみた結果

彼女の個性に惚れ込み、二度の映画出演が

評判にもならずに映画には興味も関心も

なかった彼女を口説いて大映入りを承諾させた

 

1949年京マチ子は元日からの日劇ショー

「歌う不夜城」を最後の舞台として

1月末の契約切れとともにOSKを退団

2月に大映に専属女優として入社する

 

入社第一回出演は安田公義監督の

「最後に笑う男」で、滝沢修。日高澄子に

これも入社第一回の二本柳寛とが

愛の三角関係を演ずるサーカス映画

彼女は滝沢修扮する元ぶらんこ乗りの

ピエロに思いを寄せる踊り子の役で

共演したが、彼女の魅力と演技度胸に

感心したカメラマンに

「大した女優や、必ず大物になりまっせ」

と予言させたものの、以後の数本も含めて

パッとせず、5本目の谷崎潤一郎原作の

痴人の愛」(1949年)で、弾力的で

豊かな肉体の妖しい美しさを見せて

ようやく魅力的な個性を発揮した

 

これは監督の木村恵吾にとっても

代表作となったが、彼女は宇野重吉

相手役に天衣無縫な行動から発散する

エロティシズムによって男を喜々として

屈服させる不良じみた女主人公ナオミを好演

 

(「痴人の愛」より)

 

それまでの日本映画には、この映画のように

エロティシズムを楽天的で肯定的な

喜劇性をもって謳いあげたものが

なかっただけに作品的に評判となり

また映画のヒロインとしても従来にない

タイプをいとも楽々と演じている

かのように見える京マチ子という

女優の出現は、観客を驚かせるには

十分なものがあった

 

1950年には伊藤大輔監督「遙かなり母の国」に

水芸師だった母(山田五十鈴)の昔の

恋人で南米帰りの失意の中年男

(早川雪州)を実の娘として温かく

迎える可憐な女奇術師を演じたが

大映は彼女を肉体派女優として

売り出すのに懸命で、再び木村恵吾監督で

「浅草の夜」を撮り、彼女は二本柳寛を

相手役に、男という男は知り尽くしたという

熟れきった肉体を持つ女豹のような

レビュー劇場の踊り子を主演

肉体派女優としてしか認められない

自分の女優としての前途に不安を感じる

 

 

参照:

キネマ旬報社『日本映画俳優全集・女優編』

 

なおこの記事は続編へと続きます