今年で祝・生誕100年!
今回は今年で生誕100年を迎える宝塚出身の
淡島千景プロフィール
日本舞踊をスター女優の栗島すみ子の稽古場で学ぶ
(現在の大田区蓮沼町)に生まれた
日本橋に家を持ち羅紗地の輸入業を
営んでいた父と母の三男三女の三女
3歳のとき松竹のスター栗島すみ子の
日本舞踊の師匠である水木流の名取・
水木歌橘の門下となり
6歳のときからは水木紅仙こと
栗島すみ子の稽古場に通う
1930年に池上尋常小学校に入り
卒業の少し前、一家が武蔵野町吉祥寺へ
転居したため、武蔵野第一小学校へ転校
1936年に成蹊高等女学校へ進む
(18歳のときの淡島千景)
学校に校風に合わず宝塚に進む
良妻賢母教育の徹底した学校で
断食や座禅をやらされたりするが
ダンスやピアノも習いたくなり
小学校5年のときの1934年1月
開場したばかりの東京宝塚劇場で
宝塚少女歌劇団の「花詩集」を
見たことがイメージに残っていたことから
1939年に宝塚音楽歌劇学校の試験を受け
681人の受験生から選ばれた62人の
合格者のなかに入る
女学校4年に進んだばかりのときで
堅い学校だったため病気休学
ということにして宝塚入り
同期に久慈あさみ、南悠子がいた
予科、本科各1年を終えて1941年
「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に
いく夜ねざめぬ須磨の関守」から取って
淡路千鳥にきめかけるが姓名判断により
「正行出陣」「小屋ふく春風」
「大やまとの歌」にコーラス・ガールで初舞台
主演はいずれも小夜福子だった
次いで演劇研究会の第一回公演「制服の処女」で
大劇場公演「母なれば」でおきくの役が
ついたのをきっかけに「狸の兄弟」で
狸の千枝を演じて娘役として売り出し
「愛の合唱」ではマリア、「母なる仏塔」では
ユボジ姫、「になひ文」(1943年)では
姫をやり、先輩の男役・越路吹雪と共演する
戦争の煽りを受け航空衣服工場での労働も
1944年に戦争の激化で大劇場が閉鎖され
歌劇団の生徒女子挺身隊として勤労動員に
狩り出され、彼女は阪急宝塚線・服部の
航空衣服工場で働く
終戦とともに舞台に多数出演!人気も評価も受ける
1946年は大劇場が再開
公演「ローズ・マリー」でタイトル・ロール
を演じて以来、娘役の主演スターとして踊り出し
男役の久慈あさみとコンビで「センチメンタル・
ジャーニー」(1946年)でクリスチーヌ
「マノン・レスコオ」でマノン
「南の哀愁」でナイヤ、「真夏の夜の夢」で
妖精バック、「モン・パリ」(1947年)で女王
「ヴェネチヤ物語」でポーシャ姫
「陽気な街」でマリイ、「香妃」で香妃
「ブルーヘブン」でポーラ、「アロハ・オエ」
(1948年)でジョーン、「ロマンス・パリ」で
(1949年)でタイス、「リオでの結婚」
(1949年)でデルリオ、「ヴギウギ・ホテル」
(1950年)でケイなどを演じて次々と
乙羽信子の名コンビと人気を二分
ことに近代的知性と才気煥発の
舞台が評価される
宝塚を離れ松竹へ入社!映画女優へ
1950年に帝劇での月組公演
「ヴギウギ・ホテル」と
「アレキサンドリヤの舞姫」に出演中
宝塚歌劇団への辞表を提出
娘役の寿命の短さを感じていたことと
かねて宝塚の先輩で松竹の専属女優に
なっていた月丘夢路に映画界入りを
誘われていたからで、千秋楽を終えると
辞表を受理せず引き留めにつとめる
歌劇団側を振り切って退団
松竹と出演契約を結ぶ
渋谷実監督作品でアプレ娘としてブレイク
松竹入社第一回出演は獅子文六・原作で
渋谷実監督の「てんやわんや」で
敗戦後の混乱した風俗を扱った風刺喜劇
彼女の役は四国独立運動に巻き込まれる
出版社の社長秘書・花輪兵子という
中性的な女性でテンポの速い演技と
小気味よい台詞に加えて水着姿で
気の弱い社員社員の佐野周二をどきまぎ
させたりして、日本の女優にはなかった
スピーディでスマートで快活な動きは
まるでアメリカ映画から抜け出してきたような
感じすら与え、評判になった
(「てんやわんや」で佐野周二と)
この撮影中に宝塚歌劇団から彼女に
処罰を意味する退団命令が出される
しかし松竹での彼女はデビュー作で見せた
中流のお嬢さんらしい明るく
伸び伸びした雰囲気と日本舞踊と宝塚の
舞台で鍛えられたきびきびした
活きのよい動きで戦前派がまだ幅を
利かせていた松竹女優陣のなかで
たちまち売れっ子となり
次々と主演作が作られ「てんやわんや:
その他の演技で、東京映画記者会が
新設した第一回ブルー・リボン賞の
演技賞を受賞するにおよび
早くも映画女優のトップクラスへ躍り出る
1951年に渋谷実監督が次回作として再び
獅子文六・原作に取り組んだ風俗喜劇
「自由学校」に佐田啓二と組んで
アプレ娘をコミカルに演じてこれも好評
アプレとは戦後派のアメリカナイズされた
軽薄な若い世代を称し
否定的な意味で使われた言葉だが
彼女が演じると新鮮でさわやかな
印象すら与えた
「自由学校」は大映と競作とになり
京マチ子が演じたがアプレ娘の軽薄さでは
淡島が適役だった
松竹入り初期のころの彼女は当時
風俗喜劇に好調を続けていた渋谷実の
作品でひときわ精彩を放ち
「自由学校」に続く「本日休診」
(1952年)にも出演
これは井伏鱒二の原作で柳永次郎が院長の
下町の小さな委員に出入りする庶民を
温かい目で見つめた人間風刺劇だが
淡島はいっぱい飲み屋の女・お町に扮し
鶴田浩二のやくざを恋人に持ちながら
金のために成金に体を与え流産するという
役を仇っぽくコミカルに演じて好評を得
渋谷がみたび獅子文六の原作に
取り組んだ「やっさもっさ」(1953年)
では終戦で虚脱状態になった能無し亭主
(小沢栄)を尻目に混血児収容所の理事
として施設の拡張運動に東奔西走
才気に走るあまり不良外人と変な関係に
なりかける、根は純情なアプレ・マダムを
演じて、その美貌とお色気を大いに発揮
演技的な進歩も特筆された
木下恵介監督にも起用され
「善魔」(1951年)で森雅之を相手役に
娘時代、恋人を捨てて秀才官吏と結婚
夫への不満から家出をし、再会した
昔の恋人から結婚を申し込まれるが
踏み切れないという不幸な人妻を演じ
「カルメン純情す」(1952年)では
岡惚れするパリ帰りの芸術家(若原雅夫)
と三百万円の持参金つきで結婚する
アプレ娘を軽快に演じた
参照:
キネマ旬報社『日本映画俳優全集・女優編』
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