昭和寅次郎の昭和レトロブログ

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昭和女優ファイル松竹編③淡島千景(中編)~映画・舞台・TVも充実したキャリアを歩む~

 

前編からの続きです

 

shouwatorajirou.com

 

ここでは小津安二郎監督作品に起用されてから

活動の中心を舞台やTVに移して活躍し

2012年に亡くなるまでのキャリアに迫ります

 

 



小津安二郎監督作品に起用される

 

巨匠・小津安二郎にも入社2年目から使われ

麦秋」(1951年)で主演する原節子

親友で料亭の娘、「お茶漬けの味」(1952年)

でも主演の木暮実千代の女学校時代の友人と

いずれも軽い役だったが、「麦秋」では

20数回もやり直しさせられ

格式ある演技を鍛えられた

 

(「お茶漬けの味」で木暮実千代津島恵子と)

 

時代劇には阪東妻三郎のの「丹下左膳」(1952年)

で相手役の伝法な姉御で初出演

 

オールスターの大作「花の生涯」(1953年)

ではそれまでとがらりと変わる古風な女

主人公・井伊直弼の友人・長野主膳

関係を持ちながら直弼とも錠を交わし

やがて幕府の諜者として攘夷派の情報収集に

身体を張ってぶつかる三味線師匠・

村山たか女をあでやかに、しかし慎重に演じた

 

NHK大河ドラマ第一回作品に出演

 

この役は10年後NHK大河ドラマ第一作

花の生涯」(1963年)に再現され

長野主膳を演じた佐田啓二とのコンビは

圧倒的な人気を獲得した

 

この1953年に独立プロダクションの

新世紀映画プロダクションが文学座と提携

松竹配給で製作した今井正監督

にごりえ」に出演

三話からなるオムニバス映画で

彼女は第三話「にごりえ」に山村聰

宮口精二を相手役に酌婦・お力を演じ

哀れな境遇の女の憤りを切々とにじませた

 

(「にごりえ」より)

 

大ヒットして1953~54年に三部作となった

「君の名は」では岸恵子扮する若いヒロイン

真知子を何くれとなく面倒を見る年上の

料亭の娘を演じ、姉御肌の気風のよさに

持ち味を見せた

 

彼女は映画デビューしたときから

すでに娘役にはやや年を取りすぎていたため

ロマンティックなメロドラマの

ヒロインなどはやらずにいきなり男に

頼らず独立独歩で社会を闊歩する役柄に

自分の世界をうちたてた

 

そして彼女に続いて宝塚から映画入りした

スターたち(乙羽信子久慈あさみ

越路吹雪八千草薫有馬稲子)もまた

概して気丈な中年女性といった役柄を演じ

そういうタイプを主役とする女性映画が

多数作られたが、その意味で淡島は

こうした映画のきっかけを作った最初の

女優といってもよいだろう

 

落ち着いた安定感のある演技者としての

彼女への期待は中村登監督「波」(1952年)

で早くも現れ、川島雄三監督「真実一路」

(1954年)、中村登監督「女の一生

(1955年)と、波乱に満ちた人生を

経験する人妻役を堅実に演じ

役柄に幅と厚みを加え、同時に松竹の

なかでの地位を不動のものとし

他社出演の自由をも認めさせるに至る

 

他社出演の第一回は、東宝に招かれて

森繁久彌と共演した豊田四郎監督の

夫婦善哉」(1955年)で

彼女の役は豊かなお色気と生活力を

持ちつつ成熟した庶民的な女の魅力を

生き生きと演じ。淡島にとって大女優への

一歩を踏み出す画期的な作品となった

これによって彼女はブルーリボン

女優主演賞を獲得した

 

(「夫婦善哉」で森繁久彌と)

 

この1955年には彼女にとって初めての

カラー映画「修禅寺物語」で高橋貞二

源頼家に対して夜叉王の姉娘・桂

「絵島生島」で市川海老蔵(のちの

市川團十郎)の歌舞伎役者・生島新五郎

とともに江戸城大奥の権力争いで悲劇の

運命をたどる大年寄・絵島を熱演した

 

(「絵島生島」より)

 

1956年に前年度の演技に対して

第4回菊池寛賞を女優では初めて受賞

 

同年は小津安二郎の「早春」に出演

子どものいない倦怠期の夫婦を池部良と共演

 

夫の浮気に苦しむ妻を抑えた静かな

内向的な演技で表現して

いちだんと成長を見せ、大映

長谷川一夫と共演の「残菊物語」

松竹で高田浩吉と共演の「鶴八鶴次郎」

といった戦前の名作のリメイクも

そつなくこなす

 

同年、作品選択の自由を求めてフリーとなり

まず大映の「日本橋」に出演

これも戦前の溝口健二監督のリメイクだったが

市川崑監督の華麗な演出のもと

お孝の役で清楚に扮した山本富士子

明治の日本橋芸者の意地と粋を競い合い

ついで宝塚映画「桂春団治」に森繁久彌

二度目の顔合わせ、さらに大映の「静と義経

(1956年)に菅原謙二と題名役を演じ

「踊子」では京マチ子と踊り子姉妹をやり

五所平之助監督の「黄色いからす」

(1957年)では父親が戦争に行って

長く復員しなかったために父親に

親しい感情を持ちにくくなった男の子を

かかえた母親を好演するなど

多彩な動きを見せた

 

豊田四郎監督の一連の喜劇

「負ケラレマセン勝ツマデハ」

「駅前旅館」(1958年)、「花のれん」

’「男性飼育法」(1959年)「珍品堂主人」

(1960年)「台所太平記」、「新・夫婦善哉

(1963年)に。いずれも森繁久彌

絶妙のコンビを組んで気丈で芯の強い

しかしお色気もなかなかの中年女の魅力を発揮

コメディエンヌとして1つの時代を築いた

 

シリアスな作品では1958年に2つの代表作を

残したが、1つは五所平之助監督「蛍火」で

幕末史に名高い寺田屋騒動の舞台となった

伏見の船宿・寺田屋の女将・登勢を演じた

 

もう1つは農民文学の和田伝の原作による

成瀬巳喜男監督の「鰯雲」で

戦争未亡人で1人息子の成長を楽しみに

周囲に温かい心配りをしながら

真摯に生きる農婦という地味な役を

情感細やかに演じ、リアリズム演技にも

的確で充実した演技力を見せ

この2作によって毎日映画コンクール

女優主演賞を受賞した

(「鰯雲」で中村鴈二郎と)

 

1961年に「駅前団地」から「駅前」

シリーズがスタートするとレギュラー出演

「駅前旅館」を含む全24作のうち22作に

森繁久彌と呼吸のあったやり取りで

観客を笑わせる自在の演技を見せた

 

活躍の場を舞台・TVに移す

 

この間の1959年に新歌舞伎座社長・

松尾国三にすすめられ

舞台にも進出するようになり

森繁久彌と自由劇団を結成して

夫婦善哉」と「佐渡島他吉の生涯」

などを演目に新歌舞伎座で旗揚げ

 

1967年には新橋演舞場で休養の

水谷八重子に代わって女座長として

「絵島生島」「女舞」に主演するなど

1960年代後半からは舞台に熱意を見せた

 

一方、TVにも数多く出演

TBSの「半七捕物帖」(1967年)と

サスペンス時代劇「追跡」(1968年)

長谷川一夫と夫婦役で呼吸のあった

好コンビを見せたほか日本テレビ

「ママとおふくろ」(1966年)で

西郷輝彦、「情炎・遥かなる愛」

(1977年)で島田陽子の母親を演じ

NET「妻と女の間」(1969年)

フジ「6羽のかもめ」(1974年)

などにも出演

 

女優業以外の意外な顔も

 

女優業以外には1958年

静岡県熱海市に梅園ホテルを開業して

ヘルシンキ・オリンピック

銀メダリストの元・水泳選手を

支配人に起用したり

1964年の東京オリンピックで優勝した

女子バレーボールの選手を

自宅に住まわせ、富士倶楽部を結成して

オーナーとなったり、話題も多かった

 

その後も舞台とテレビを中心に

精力的に活動するも2012年

膵臓がんで亡くなった

87年の生涯に幕を閉じた

 

参照:

キネマ旬報社『日本映画俳優大全・女優編』

 

なおこの記事は後編へと続きます