前回からの続きです
今回は女優として生の最期まで
演技に邁進した女優人生と
映画だけでなくTVドラマや
舞台での活躍も取り上げます
乙羽信子プロフィール(続き)
母親役などの中年薬や汚れ役で演技力を発揮
さらに「かげろう」(1969年)で
夫を殺した島民たちに体を張って復讐し
目的なかばに殺されるバーの女
母と息子の深層にひそむ性と愛に
焦点を当てた「触角」(1970年)では
夫の戦死後、一人息子を育てる母親役で
新藤作品に主演を重ね、近代映画協会
創立20周年記念の新藤作品「裸の十九才」
(1970年)でもきわめて印象深い母親役
を演じた
これは実在の19歳の少年が起こした
連続ピストル射殺事件に取材したもので
新藤は作品のなかばを少年の母の生い立ち
と彼女の子どもの育て方に当てている
この母親を乙羽信子は、人はいいが何か
決定的なところで息子の心を歪めて
しまった女性を、決して憎めない女として
強い存在感を込めて演じた
少年の犯罪の遠因を母親の青春に探る
という発想は新藤独自の人間観によろ
ものだが、同時に乙羽信子の存在が
この発想をふくらませたともいえよう
これは1971年のモスクワ映画祭で
金メダル賞(グランプリ)を受賞した
次いで新藤が中世と現代をつないで
嫉妬という人間の不毛のエネルギーに
思考をめっぐらした「鉄輪」(1972年)
で自分を裏切って若い愛人と情事に
ふける夫とその愛人に生霊となって
呪いをかける中年女を主演
続いて新藤が古典文学に取り組んだ
(1972年)、夏目漱石・原作「心」
(1973年)では、ともに脇役だったが
「心」の世故にたけた初老の女の非常の
場合の冷静沈着さは鮮やかな印象を残した
新藤との協働はさらに深化し、出稼ぎ
農民の悲惨な状況を訴えたキャンペーン
映画「わが道」(1977年)では出稼ぎの
犠牲となる老夫婦を、これまでも何度も
重ねてきた殿山泰司と共演
このころから彼女の演技には汚れ役には
汚れ役なりに一種の威厳が備わって来る
その威厳が見事に輝きを示したのが
「竹山ひとり旅」(1977年)で
この盲目の旅芸人ぐらしの末に
伝記映画で彼女は竹山の母親を
演じたのだが、竹山のくじけようとする
志を厳しく叱咤し立ち直らせる母親の
凛とした威厳は立派なものがあった
新藤兼人監督と結婚
新藤は戦後間もなく再婚、一男一女を
もうけたが1972年に離婚、その前夫人は
1977年に亡くなっていた
結婚しても2人はこれまでどおりの別居
生活で、式も挙げなかった
結婚後の最初の作品は「絞殺」(1979年)で
彼女は家庭内暴力の息子を持って恐れ
おののき、夫以上に息子を愛していると
その息子とのべったりとくっついた心理を
微妙に演じ、1973年以来の中断を経て
7年ぶりに再開された1979年のヴェネツィア
国際映画祭で最優秀主演女優賞を受賞した
以降の映画は脇役に回ることが多くなったが
新藤兼人作品ではまだ主役または準主役で
起用され、なかでも「午後の遺言状」
(1995年)は名女優・杉村春子とともに
対等の演技を見せ作品自体も高く評価され
第38回ブルーリボン賞作品賞
キネマ旬報ベストテン第1位など
乙羽は助演女優賞を複数受賞した
TV界、舞台での活躍
1950年代後半からは舞台、TVにも進出
歌舞伎十八番のうちの「鳴神」の絶間姫を
女優としては歌舞伎史上はじめて演じ
1958年の東宝現代劇「風雪三十三年の夢」に
森繁久彌と共演で芸術座の舞台を
踏んでからは東宝系の劇場を中心に
本格的に出演を始め、梅田コマ劇場
「湯島の白梅」(1959年)、芸術座
「がめつい奴」(1959年)、帝劇「明智光秀」
(1973年)などがある
一方、TVは1956年の日本テレビ
"武智ミュージカルス"「身替座禅」を始め
同じく日本テレビの「ママちょっと来て」に
連続物初出演、千秋実のパパと組んで
ママを好演
1959年7月スタートで1963年3月終了まで
平均視聴率23%をあげ。茶の間の人気者となり
ほかにNET「レミは生きている」(1960年)
フジ「肝っ玉かあさん」(1968年)
「ありがとう」(1970、72、74年)
NHK「熱き涙を」(1977年)、朝の連続テレビ
小説「おしん」などがある
なかでも水前寺清子主演の「ありがとう」と
3人の女優でリレーして激動の時代を生きた
女性の生涯を描いた「おしん」はいずれも
最高視聴率が50%を超える大ヒットとなった
また「おしん」は世界60か国以上で放送されて
大好評を博し。日本にも貧困の時代があった
ことを印象付け、途上国の人々を勇気づけた
1962年放送のRKB毎日制作「死ぬほど逢いたい」
(新藤兼人・作)は芸術祭奨励賞を受賞し
彼女はまた1973年の第3回国際テレビ・
フェスティバル(モンテカルロ)で
最優秀女優に選ばれた
1980年から「週刊朝日」に「捨てたエクボ/
乙羽信子の泥んこ半世紀」を連載
翌年に自伝『どろんこ半世紀』として
朝日新聞社から出版した
しかし映画「午後の遺言状」の封切りの
前年に肝臓がんで死去
70歳だった
その生涯と女優としての功績は讃えられ
宝塚の殿堂入りも果たしている
参照:
キネマ旬報社『日本映画俳優全集・女優編』
最高視聴率、56.3%のホームドラマ『ありがとう』…テレビ全盛期時代の「撮影秘話」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
https://kageki.hankyu.co.jp/sp/theater/takarazuka/so7q6r0000007fu3-att/so7q6r0000007giu.pdf
なおこの記事は最終回へと続きます
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