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昭和女優ファイル松竹編②岩下志麻(前編)~松竹の清純派女優からキャリアをスタート~

 

1月3日は岩下志麻さんの誕生日!

 

今日は女優の岩下志麻さんの誕生日です

おめでとうございます

 

志麻さんは大女優さんなので

前・中・後編と3回にわたって書きます

 

また新年早々大変な災害や事故が起き

記事の執筆や投稿は不謹慎になるのでは?

と葛藤しましたが、そういった報道だけを

目にするのは健康によくないかもしれない

コロナの時期には「コロナうつ」なるものが

出てきたことを考えると

世間の出来事とは無関係なことを書いても

構わない、むしろ健康面でいいかもしれないと思い

書きました

 

なお、まだ画像が十分に用意できていない状態で

100パーセントの記事ではないことを

予めご了承ください

 

まずはプロフィールから

 

岩下志麻プロフィール

 

 

俳優・女優夫婦のもとに生まれる

 

岩下志麻(本名:篠田志麻)は

1941年1月3日東京市京橋区銀座四丁目

(現在の東京都中央区)に生まれた

 

(2歳6か月の岩下志麻

 

父は野々村潔を芸名とする新劇俳優で

母も山岸美代子の本名で新劇女優として活躍

母の姉・山岸しづ江がまた前進座

筆頭女優として同じ前進座河原崎長十郎

結婚するという環境に育つ

 

武蔵野第三小学校、武蔵野第三中学を経て

都立武蔵高校に入学

 

TVドラマから女優業を始める

 

三年に進んだ1958年に父の仕事の関係から

NHKのプロデューサーに誘われ

スタート間もない「バス通り裏」に

十朱幸代の友人役で顔を出したところ

タレントとしての素質を買われ

そのまま同じ役で準レギュラーとなり

少しぬけたところのある身勝手な性格の

外交官の娘を演じ、その後フジ「青空通り」や

風立ちぬ」などにも出演する

 

(「バス通り裏」でデビューしたころ)

 

この間の1959年に明星学園高校に転校

成城大学文芸学部へ進む

 

松竹へ入社!銀幕デビューへ

 

翌1960年に松竹がトニー・ザイラー

主演にした「銀嶺の王者」の相手役に

予定された城山順子が足を折ったために

代役候補としてカメラテストを受け

代役には松竹在籍の鰐淵晴子に決まったが

これが縁で松竹に入社する

 

まもなく木下恵介監督の「笛吹川」に

田村高廣高峰秀子夫婦の末娘で

武田家へ奉公に出て武田家滅亡とともに

自ら生命を絶つ娘の役に起用され

続いて篠田正浩監督の第2作「乾いた湖」に

三上真一郎の相手役として

安保闘争のなかで自堕落な生活を送り

大学自治会を除名されてテロに走る学生の

恋人を演じたが「笛吹川」の撮影が長期に

わたったため公開があとになり

「乾いた湖」がデビュー作となる

 

篠田はこの作品で大島渚吉田喜重監督とともに

松竹ヌーヴェルヴァーグの一人として注目される

 

1960年に小津安二郎監督の「秋日和」に

チョイ役で受付の女の子で顔を出し

1961年には篠田のパロディ・アクション

「夕陽に赤い俺の顔」に川津祐介

相手役をつとめる

 

清純派女優として活躍

 

同年、松竹はヌーヴェル・ヴァーグを一掃して

メロドラマ路線復活に方針転換

清純派で血筋、容姿、ムードと三拍子そろった

岩下を第二の岸恵子として売り出すため

テレビで人気を呼んだ「あの波の果てまで」の

主役に起用される

彼女は志摩半島の真珠業者の娘で津川雅彦

相手役に悲恋を演じて有望な新人と

折り紙をつけられる

 

これがヒットして三部作に広がり桑野みゆき

鰐淵晴子とともに松竹女性映画のホープとなり

大庭秀雄監督「女舞」(1961年)で岡田茉莉子

踊りの弟子「京化粧」(1961年)で

山本富士子祇園の芸者仲間、渋谷実監督

「好人好日」(1961年)で笠智衆

淡島千景夫婦に育てられた戦災孤児の娘と

大役に起用され、記憶喪失を扱った篠田の

異色メロドラマ「わが恋の旅路」(1961年)では

川津祐介を相手役に主演

1961年度製作者協会新人賞、第12回ブルーリボン

新人賞を受賞した

 

その後、松竹お得意の青春物やメロドラマに活躍

「三人娘乾杯!」(1962年)で鰐淵晴子

倍賞千恵子と顔を合わせ、「この日美わし」

(1962年)で津川雅彦、「学生芸者・恋と喧嘩」

(1962年)と「島育ち」(1963年)で寺島達夫

「あの人はいま」(1963年)で園井啓介

「結婚の設計」(1963年)高橋幸治を相手に

主役を演じる一方、中村登監督「千客万来

(1962年)では親からすすめられた縁談を

きっぱり断るはっきりした気性の娘を好演

 

(「あの人はいま」より)

 

日本的な悲劇美を重厚に描いた小林正樹監督の

リアリズム時代劇「切腹」(1962年)に

紅一点、仲代達矢の娘の役で出演

竹光で無理やり切腹させられる貧乏浪人・

石濱朗の世帯やつれした病妻を懸命に演じた

 

小津安二郎監督にも起用され

秋刀魚の味」(1962年)で適齢期の娘の役で

妻に先立たれた初老の父親・笠智衆との親娘の

微妙な愛情のやり取りを見事に演じて

大女優への関門をくぐりぬける

 

(映画「秋刀魚の味」で笠智衆と)

 

この1962年には女優に専念するため大学を中退

 

1963年には中村登監督の「古都」(川端康成・原作)で

二役に挑み、京都の呉服問屋の一人娘として

裕福に育った捨て子の姉と北山杉のある村で

杉の丸太を磨く双子の妹を情感をたたえて好演

この成功によって松竹は岩下を看板女優として

育てようと本腰を入れ、彼女もファイトを燃やし

新たな役柄に挑戦する

 

’(映画「古都」より)

 

清純派から役柄を広げる

 

太平洋戦争末期の北海道の寒村を舞台にした

木下恵介監督の社会ドラマ「死闘の伝説」

(1963年)で村中の迫害を受ける

田中絹代一家の長女

山田洋次監督「いいかげん馬鹿」(1964年)で

ハナ肇の相手役の女子大生

篠田正浩監督の「暗殺」(1964年)では

丹波哲郎扮する清川八郎に見受けされる

娼妓と役柄の幅を広げ、同年の野村芳太郎監督

「五辯の椿」(山本周五郎・原作)の

ヒロインに起用される

温厚で病弱な父を裏切って不貞を働く母を殺し

母の不義密通の相手を誘惑したあげくに

次々に殺害してゆく正義派のヒロインを

妖艶さを漂わせて熱演

清純派のレッテルを返上するとともに

1964年度ブルー・リボン女優主演賞を受賞

名実ともに松竹のトップ女優となる

 

(映画「五辯の椿」より)

 

その後、山田洋次監督「馬鹿が戦車でやって来る

(1964年)でハナ肇

渋谷実監督「大根と人参」(1965年)で

岡田茉莉子有馬稲子司葉子らと顔を合わせ

川端康成・原作で1957年に岸恵子

主演した豊田四郎監督作品のリメイク「雪国」

(1965年、大庭秀雄監督)で木村功を相手役に

ヒロインの芸者・駒子を演じる一方

中村登監督の「暖春」(1965年)に森光子の

娘の役で主演

 

しかしこの間女性映画が下火となり

京都撮影所の閉鎖などの合理化で

松竹路線が混乱

岩下のために用意された企画が次々と流れ

1966年にTV出演を再開

松竹が映画化を見送ったフジ「城砦」に

長崎で被爆したことのあるヒロインを演じ

同年に年間2本の他社出演を条件に

松竹専属契約を更新

 

岸田国士・原作の三度目の映画化で

野村芳太郎監督の「暖流」(1966年)で

前二作の高峰三枝子野添ひとみ

あとを受け美貌の院長令嬢・志摩啓子を

演じたのち、有吉佐和子・原作「紀ノ川」

(1966年)に司葉子の娘に扮して

18~40歳までの女性の半生を演じて

確かな演技力を見せ

篠田正浩の松竹退社後の第一作

「処刑の島」(1966年)に出演

戦時中、アナーキストとその家族を惨殺し

生き残った息子に命を狙われる元憲兵

娘の役で主人公を慕いながらも

父親との板挟みに苦しむ複雑な心理と

悲しみを全身で表現して感動を与えた

 

以降、NHK連続テレビ小説の映画化

おはなはん」(1966年)

五所平之助監督「宴」、大庭秀雄監督

「春日和」(1967年)などに主演

 

中村登監督の「智恵子抄」(1967年)では

高村光太郎の妻・智恵子に扮して

光太郎との出会いから結婚、発狂までを

中村の抒情的演出に包まれて好演

代表作の一つとした

 

この間、かねて仲が噂されていた

篠田正浩監督と松竹専務取締役・

白井昌夫夫妻の媒酌で京都市北区

紫野大徳寺・高桐院で仏前結婚式をあげた

 

(結婚式のときのツーショット)

 

参照:

キネマ旬報社『日本映画俳優大全・女優編』

岩下志麻著『鏡の向こう側に』

 

なお、この記事は中編へと続きます

 

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