昭和寅次郎の昭和レトロブログ

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昭和女優ファイル松竹編②岩下志麻(中編)~独立プロ設立から「極妻」から現在まで~

 

前編からの続きです

この中編では独立プロダクション・

表現者を立ち上げたところから書きます

 

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独立プロ・表現者を設立

 

この1967年篠田、岩下にプロデューサーの

中島正幸、野々村潔の4人で独立プロ・

表現者を設立、野々村が代表となる

 

その第一作「あかね雲」(1967年)では

篠田の精緻な演出により

脱走兵の山崎努と愛し合う温泉町の女性を

切ないほどに好演

 

続いてモーパッサンの同名小説を映画化した

野村芳太郎監督の「女の一生」(1967年)でも

夫や子どもに裏切られながらも気高く美しく

生きるヒロインを21~42歳まで演じ分け

これと「智恵子抄」「あかね雲」とで

1967年度キネマ旬報女優賞

毎日映画コンクール女優主演賞

NHK最優秀主演女優賞を受賞

 

その後も演技賞の受賞が続き

近松門左衛門の原作を基にした

篠田の野心作「心中天網島」(1969年)に

紙屋治兵衛(中村吉右衛門)の妾・

おさんと遊女・小春の二役を演じ

生と死のはざまにおかれた女の情念を

華麗、痛切に演じて話題を呼び

女優としての飛躍を大きく印象づけ

同年主演した「日も月も」「わが恋わが歌」

(いずれも中村登監督)、「赤毛

岡本喜八監督)を含めて

1969年度のキネマ旬報女優賞

毎日映画コンクール女優主演賞を受賞

 

(映画「心中天網島」より)

 

その後、政敵のために失脚して

家族と40年間幽閉される土佐藩家老・

野中兼山の娘の半生を描いた今井正監督の

「婉という女」(1971年)に主役の婉を好演

 

(映画「婉という女」より)

 

また松本清張原作の作品にも出演

影の車」(1970年、野村芳太郎監督)と

「内海の輪」(1971年、斎藤耕一監督)では

屈折した子連れの未亡人と人妻役を

情感豊かに演じ、エロティックなシーンにも

積極的に取り組んで演技にかける執念も

一段と増し、初期の頃とはがらりと変わった

情念の女優に成長する

 

松竹を退社しさまざまな会社の作品に出演

 

1976年には16年間在籍した松竹を退社

私生活では1977年に長女を出産

 

以後、松竹に留まらず、他社の作品にも出演

五社英雄監督「雲霧仁左衛門」(1978年)では

怪盗仁左衛門仲代達矢の情婦

野村芳太郎監督「鬼畜」(1978年)では

甲斐性のない印刷屋の亭主・緒形拳

そそのかし、亭主が外の女に生ませた

3人の子どもを抹殺しようとする陰険な女性

森谷司郎監督の「聖職の碑」(1978年)では

遭難死した校長・鶴田浩二の勝気な夫人と

それぞれ巧みに演じ分ける一方

篠田の全作品に引き続き重要な役で出演

河竹黙阿弥・作、仲代達矢主演の

「無頼漢」(1970年)

キリシタンへの転向を扱った遠藤周作・原作

「沈黙」(1971年)に夫の命を

救おうと踏み絵をする人妻

邪馬台国の世界を様式的に描いた

卑弥呼」(1974年)

坂口安吾・原作「桜の樹の下で」(1975年)で

都を離れた山里に山賊・若山富三郎と暮らす

わがままで美しい都の女を演じ

「はなれ瞽女おりん」(1977年)では

越後路の美しい四季を背景に

盲目の瞽女おりんを天真爛漫で聖女のような

無垢な心を持つ女として好演

この映画では1977年度のキネマ旬報主演女優賞

ブルー・リボン主演女優賞

毎日映画コンクール女優演技賞

第一回日本アカデミー賞主演女優賞と

同年の女優賞を独占した

 

(映画「はなれ瞽女おりん」より)

 

1981年の角川映画悪霊島

横溝正史・原作)では

瀬戸内海の孤島を支配する神社の

宮司の娘で貞淑な女性と

その双子の姉で狂気の女性の

二役を演じた

 

1986年の「鑓の権三」は近松門左衛門・原作の

時代劇で夫が参勤交代で不在の間に

美男子と駆け落ちする人妻を演じた

 

東映映画や五社英雄監督作品に多数出演

 

また80年代に入ってからは

五社英雄監督の作品に立て続けに出演する

 

まず1980年の「鬼龍院花子の生涯」では

初めての東映京都撮影所での作品となり

岩下は仲代達矢演じる侠客の鬼政の妻を演じた

 

1984年の「北の蛍」では明治初期の北海道の

刑務所にいる恋人を追って京都から

やって来た元芸者を演じた

 

代表作「極妻」との出会い

 

そしてついに1986年からは自身の代表作となる

極道の妻たち」シリーズに出演

やくざの組長の夫の妻を強烈な存在感で演じて見せた

 

(「極道の妻たち」第一作目より)

 

この映画はシリーズ化され、2作目と3作目は

別の女優が主演を務めたが、4作目の「最後の戦い」

(1990年)から10作目の「決着」まで

岩下が連続して主演し、その強烈な演技で

今日の岩下のイメージを形作った

 

一方で篠田正浩の監督作品では脇役に回る

夏目雅子の遺作「瀬戸内少年野球団」(1984年)

「少年時代」(1990年)、「写楽」(1995年)

篠田監督の引退作「スパイ・ゾルゲ」と

いずれも出演の短い小さな役柄だったが

スパイ・ゾルゲ」では岩下もカメラを手に

撮影現場のメイキング映画を作った

 

TVドラマでも活躍

 

岩下はTVドラマの世界でも活躍した

NHK大河ドラマ草燃える」(1979年)は

源頼朝の妻・北条政子の生涯を描いた作品で

岩下は主役の北条政子を演じた

 

大河ドラマ草燃える」より)

 

その後も主演ではないものの大河ドラマ

独眼竜政宗」(1987年)や「葵・徳川三代」

(2000年)にも出演した

 

大河ドラマ以外では日本テレビ「氷紋」

(1974年)や「さよならの夏」(1976年)

「近眼ママ恋のかけひき」(1977年)

で主演を務めた

 

TBSでは倉本聰・脚本の「さよならお竜さん」

(1980年)。フジテレビでは山田太一・脚本の

早春スケッチブック」(1983年)に

河原崎長十郎演じる平凡なサラリーマンの妻を演じた

 

舞台業は一度きり

 

1969年の映画「赤毛」を撮影中に日生劇場

尾上松緑の「オセロ」(原作・シェイクスピア

で初舞台を踏み、主人公オセロの妻・

デズデモーナの役を演じた

 

レコードも発売

 

女優業以外ではシングルレコードを2枚

LPも複数枚吹き込んだ

 

(岩下のレコードについては過去に記事あり)

 

 

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CMにも多数出演

 

TVのCMにも多数出演しており

なかでもメナード化粧品のCMは

1972年から長期間にわたって起用され

28年目の2000年には専属タレント契約

世界最長記録としてギネスブックに掲載された

現在では記録は破られている

 

 


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着物デザイナーとしての顔も

 

1999年には京都丸紅より「きもの志麻」

ブランドを発表着物デザイナーとしてデビュー

素材選びからデザインまですべて手がけ

展示会ではコーディネートの陣頭指揮も取り

毎回大好評となった

 

長年の功績を讃えられ受賞歴多数

 

これまで書いてきた演技賞以外にも

多数の受賞歴を誇る

 

1988年には毎日映画コンクール

第3回田中絹代賞を受賞

 

1990年は第32回牧野省三賞を

女優として初めて受賞する

 

1991年と2007年には日本ジュエリー

ベストドレッサー賞を受賞

 

2003年は第15回日本放送協会

放送文化省を受賞

 

2004年は春の紫綬褒章を受賞

 

2012年は旭日章綬章

 

現在は映画もTVも出演が減っているが…

 

現在は映画もTVも出演が減っているものの

TVのトーク番組では近年、アメリカ映画

サンセット大通り」(1950年

ビリー・ワイルダー監督)で

グロリア・スワンソンが演じた

落ちぶれたスター女優役を

やりたいと意欲を燃やしている

 

参照」

キネマ旬報社『日本映画俳優大全・女優編』

岩下志麻著『岩下志麻のきもの語り』

春日太一著『美しく、狂おしく 岩下志麻の女優道』

 

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