昭和寅次郎の昭和レトロブログ

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昭和女優ファイル日活編④渡辺美佐子(前編)~舞台も映画もTVも長期に活躍したマルチ女優~

 

今年で御年91歳!映画デビュー70周年の渡辺美佐子さん

 

今回は昨年で舞台活動からの引退を表明し

今年で映画デビューから70年で

TVも草創期から活躍してきた

大ベテラン女優の渡辺美佐子さんです

3つの分野で長きにわたって活躍できた

魅力に迫ります

 

渡辺美佐子プロフィール

 

(日活と契約したころの渡辺美佐子

 

 

渡辺美佐子は1932年10月23日

東京市麻布区笄町(現在の港区麻布)に生まれた

 

帽子問屋を営む父と母の

三男二女の二女

 

俳優座養成所からキャリアがスタート

 

実践女子学園中学から同高校へ進み

1951年に卒業と同時に俳優座養成所に

三期生として入所

同期に小山田宗徳、本郷淳、楠侑子などがいる

 

在学中の1953年に今井正監督の東映

ひめゆりの塔」に女生徒のひとりとして

映画に初主演する

 

1954年に卒業して養成所の一期先輩の

小沢昭一、早野寿郎らが結成していた

劇団新人会に小山田、楠らと加わる

 

1955年にプレヒト作の「家庭教師」で

初舞台を踏み、次いで矢代静一・作「壁画」に出演

理知的な容貌と若さに似合わぬ落ち着いた

演技力が注目を浴び

1956年には早くも映画界から声がかかり

日活の「逆光線」でヒロインの北原三枝

恋人を取られる娘という重要な脇役で

本格的にデビュー

 

(映画「逆光線」より。右から2番目が渡辺美佐子さん)

 

日活と契約を結び本格的に映画に出演

 

この年に日活と専属契約をかわし

1962年にフリーとなるまで

多くの日活作品に出演

なかでも今村昌平監督の「果しなき欲望

(1958年)では欲にくらんで仲間の

男たちを殺す妖艶な悪女を好演

しかも共演者の西村晃殿山泰司

小沢昭一という芸達者を相手に

互角にわたりあい、新人女優には珍しい

演技派としての実力を遺憾なく発揮

同年のブルーリボン賞女優助演賞を受賞

 

(映画「果しなき欲望」より。左が渡辺美佐子、右が長門裕之

 

しかしそれ以降は、日活が裕次郎小林旭

全盛時代とあって彩り的な助演が多く

裕次郎とは「陽のあたる坂道」「風速40米

(1958年)「あした晴れるか」(1960)

「あいつと私」(1961年)

「男と男の生きる街」(1962年)など

 

旭とは「白い悪魔」「青い乳房」(1958年)

「ギターを持った渡り鳥」(1959年)

「口笛が流れる港町」(1960年)などで共演

 

ただし独立プロ作品では山本薩夫監督の

東映画「武器なき斗い」(1960年)で

右翼の兇刃に倒れた労農党の衆議議員

山本宜治(下元勉)の妻

小林正樹監督の「からみ合い」(1961年)

では死期が近づいたため莫大な遺産を

行方不明の子どもたちに分割しようとする

富豪(山村聰)の妻をそれぞれ印象的に演じた

 

ほかに「街燈」(1957年)「四季の愛欲」

(1958年)「われらの時代」(1959年)

「人間狩り」(1962年)など

この間の1955年に放送作家の牛島孝之と

結婚するが1959年に離婚する

 

映画より舞台業が充実

 

映画では企画に恵まれたとはいえないが

やはり彼女の活動の中心は舞台で

1959年の「マリアの首」(田中千禾夫・作)の

ヒロイン・忍で新劇演技賞を受賞

 

1960年に小沢昭一小山田宗徳

楠侑子らが脱退して俳優小劇場を

結成したのちも新人会に残り

次々と話題作、問題作に出演

その卓抜した演技力に磨きをかけていく

 

田中千禾夫作品では「伐る勿れ樹を」(1961年)

「月明らかに星稀れに」(1962年)

「さすらいに」(1965年)など

 

また福田義之・作「思い出しちゃいけない」

(1965年)「オッペケペ」(1965年)

山崎正和・作「動物園作戦」(1966年)

プレヒト作・「屠殺場のジャンヌ・ダルク

(1965年)にいずれも主演

 

(「オッペケペ」。右が大場建二で左が渡辺美佐子

 

外部出演では1962年三期会、新人会

青年座、仲間、俳優小劇場による

はじめての合同公演「真田風雲録」

福田善之・作)、1969年には

同じ福田の劇団自由劇場「魔女伝説」に客演

 

また1965年には日生劇場に進出し

サルトル作「悪魔と神」で尾上松緑

共演するなどめざましい活躍をを続ける

 

(「悪魔と神」。左が尾上松緑で右が渡辺美佐子)

 

だが1969年の「室内の戦い」終演後に

上演作品の選択をめぐって劇団側と対立し退団

同年新しい演劇活動のために劇団という

形態にとらわれず活動を二年間と限定した

演劇グループ・兆を田中千禾夫福田善之

吉行和子らと結成

 

1970年に「君は十一月に何をするのか」

「夏芝居ホワイト・コメディ」

1971年には「いのちの恋」

「与那国の蝶を」を公演する

 

以後はフリーとなって文学座

華岡青洲の妻」(1972年)

劇団四季「フェードル」に客演したほか

歌舞伎座の「萬屋錦之助公演・人生劇場」

(1974年)紀伊国屋ホール「小林一茶

(1979年)西武劇場「ヴァージニア・

ウルフなんか怖くない」(1978年)などに

いずれも主演し演劇界の第一線の女優として活躍

 

ライフワークとなる一人芝居「化粧 二幕」と出会う

 

1982年にはライフワークといえる一人芝居

化粧 二幕」(井上ひさし・作)と出会う

この作品は大好評を博しフランスや

アメリカなど海外公演も行い

2010年まで648回の公演数を重ねた

 

(舞台「化粧二幕」。)

 

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原爆詩の朗読劇にも力を入れる

 

またもう一つのラウフワークとして

原爆詩の朗読劇「夏の雲は忘れない」にも

力を注ぎ戦争体験者として

初恋の少年を原爆で亡くしたことから

1985年から反戦を訴え続けている

 

(朗読会の様子。中央が渡辺美佐子

 

しかし90歳を迎えた2022年

「美しきものの伝説」を最後に

舞台活動からの引退を決意

68年間にわたる舞台女優のキャリアに

ピリオドを打った

 

一方映画は日活を離れて

フリーとなってからも毎年

コンスタントに各社に出演を続け

1963年には舞台で好評だった

「真田風雲録」を東映

加藤泰監督が映画化

彼女は舞台と同じむささびのお霧

(雲隠才蔵)に扮し網タイツ姿も悩ましく

猿飛佐助の中村錦之助と共演

 

ほかに今井正監督「武士道残酷物語」(1963年)

小林正樹監督「怪談」(1964年)

篠田正浩監督「美しさと哀しみと」(1965年)

田坂具隆監督「冷飯とおさんちゃん」

(1965年)増村保造監督「華岡青洲の妻

(1967年)東陽一監督「やさしいにっぽん人」

(1971年)市川崑監督「悪魔の手毬唄

(1977年)などの話題作に相次いで出演

 

平成に入ってからも脇役ながらも

いつか読書する日」(2005年)では

ナレーションを務め物語の進行役として

重要な役割を果たし

「続・深夜食堂」(2016年)でも

存在感のある演技を見せた

「誰がために憲法はある」(2019)では

日本国憲法の役を演じた

 


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プライベートでは1965年にTBSの

ディレクター・大山勝美と再婚

2014年に大山が亡くなり死別するまで

お互いに夫婦げんかもしない

おしどり夫婦だった

 

TVではNHK源義経」(1965年)

「みだれ髪」(1967年)「暁は寒かった」(1980年)

TBS「秋津の宿」(1962年)

「ただいま11年」(1964年)

「ふたりぼっち」(1974年)

赤い疑惑」(1975)「絹の家」(1976年)

「ムー」(1977年)「ムー一族」(1978年)

源氏物語」「見合い結婚」(1980年)

フジ「愛しの太陽」(1966年)

NET「金のなる樹は誰のもの」(1976年)

日本テレビ「竹とんぼ」(1980年)

など多くの作品で活躍

 

NHK「みだれ髪」で与謝野晶子に扮した渡辺美佐子

 

最新作は2019年のNHKスペシャルドラマ

「マンゴーの樹の下で〜ルソン島、戦火の約束〜」で

プライベートで仲のいい岸恵子との共演を果たした

 

参照:

キネマ旬報『日本映画俳優全集・女優編』

雑誌「ゆうゆう」2017年11月号

 

なおこの記事は後編へ続きます

 

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