- 新聞記者と結婚し夫と一緒にニューヨークへ
- 帰国後に女優業に復帰
- 彼女の活躍した時代を見てきた監督から出演依頼が来る
- 彼女の出演した名作を見た若手監督からオファーが来る
- TVドラマと舞台でのキャリア
- 女優人生で一度きり出したレコード
- 映画の語り部として日本各地でトークショー
- ひめゆり学徒隊の生き残りの方との交流
前編からの続きです
この「中編」では香川京子さんの結婚
女優活動休止を経て復帰してからの
キャリアと映画以外の女優活動について
綴っていきたいと思います
新聞記者と結婚し夫と一緒にニューヨークへ
黒澤明監督の「赤ひげ」撮影の合間の
1963年に読売新聞社社会部記者と結婚
その後も映画や舞台の仕事を続けていたが
「赤ひげ」出演を終えたのち1965年に長女を出産
同年に国連担当の特派員としてニューヨークに
赴任していた夫のもとへ移り
1068年に夫の読売新聞社外報部転勤に伴い帰国
(結婚式を挙げた教会の前で夫とツーショット)
帰国後に女優業に復帰
映画出演は1974年の「華麗なる一族」までなかったが
TVドラマで芸能界にカムバックした
「華麗なる一族」以来、映画は堀川弘道監督
団地住まいの共働きの夫婦
(1979)で初めて寅さんシリーズに出演
しかしこの後はさらに映画出演が減ってしまう
1980年代は「春駒のうた」の1本のみだった
彼女の活躍した時代を見てきた監督から出演依頼が来る
それでも彼女の活躍を見てきた世代の監督から
必要とされ、1990年には熊井啓監督の
「式部物語」で初めての老け役に挑戦
1993年には黒澤明監督の遺作となった
「まあだだよ」では終始割烹着を着た「奥さん」役で
さまざまな賞を受賞する
彼女の出演した名作を見た若手監督からオファーが来る
1999年の是枝裕和監督「ワンダフルライフ」
以降は彼女の活躍した若き日の名作を見た
若い世代の監督たちから「起用したい」
という声がかかる
2017年の「天使のいる図書館」は
ウエダアツシ監督が彼女のファンであることから
彼女へのオマージュも散りばめられた映画だった
2022年にはかねてから抱いている
「島守の塔」に出演した
TVドラマと舞台でのキャリア
夫の仕事の関係で帰国した香川の
芸能界カムバックはTVドラマだった
TVドラマは復帰前から時折出演しており
ほかに東京12「二十四の瞳」(1964年)
TBS「肝っ玉母さん」(1969年)
「女たちの忠臣蔵」(1979年)
などがあり、特に1980年代以降は
映画よりもTVの仕事が多くなった
これは日本映画界が衰退し
大映の倒産や日活のロマンポルノ路線への転換
洋画人気の高まりなどがあり
彼女に相応しい映画の仕事がなかった
という事情がある
記憶に新しいところでは
大ヒットアニメ映画「この世界の片隅に」
(2016年)のドラマ版の役どころも印象深い
また舞台作品の出演経験もあり
母娘の役で共演した初舞台を踏んだが
その後は機会がなく1980年に帝劇の
「女だけの忠臣蔵」に出演
TVドラマ版と同じ石井ふく子がプロデュースした
しかし彼女自身は舞台の仕事は不向きだと感じ
「女だけの忠臣蔵」を最後に舞台は踏んでいない
女優人生で一度きり出したレコード
彼女は長い女優人生のなかで
一度だけレコードを出したことがある
石坂洋二郎原作の映画「暁の合唱」の主題歌で
何とも贅沢なコンビによる楽曲だった
彼女は10代のとき茨城の疎開先で
西條と知り合ったという
彼女自身はこの曲について
「私が歌うことになったので
西條先生が詩を書いて下さったのだと思います
小さい時から音楽が好きで
コーラスなどで歌っていましたが
まさかレコードに吹き込むようになるなんて
考えてもいませんでした
なにしろ大変で皆さんにご迷惑を
かけてしまって
この1曲でこりごりしてしまいました」
(CD「SP盤復刻による日本映画主題歌集13
戦後編(1955)」ライナーノーツより引用)
と語っているが彼女らしい伸びやかで
清々しく可愛らしい歌唱を聴かせてくれる
映画の語り部として日本各地でトークショー
舞台での演技はうまくいかなかったが
彼女は日本映画の黄金時代に
数々の名監督や名優と一緒に
仕事をしてきたキャリアを活かして
日本各地の映画館で自身の映画の
上映があると積極的にトークショーを行い
映画や監督たちのエピソードを
語るという「映画の語り部」として
活躍してきた
語り部を始めた動機はかつての名監督や
名優が次々と旅立ってしまい
日本映画の黄金期を語り継いでいけるのは
もう自分くらいしかいないとの思いからだった
(2010年に行われた黒澤明監督生誕100年記念のトークショーにて)
また彼女はフィルムセンター
(現国立映画アーカイブ)の映画保存事業に
協力・支援し、自身が保管していた
300点近くの貴重な映画資料を寄贈し
さらにフィルムセンター以外の団体による
映画保存のキャンペーンにも賛同の意を示し
活動を応援するなどした
2011年にはこうした活動が評価され
国際フィルム・アーカイブ連盟(FIAF)賞を
アジア人として初めて受賞した
過去の受賞者には第1回の
マーティン・スコセッシ監督をはじめ
ホオシャオシェン監督など
そうそうたる面々がいて
まさに快挙といえる出来事だった
ひめゆり学徒隊の生き残りの方との交流
1979年にはひめゆり学徒隊の生き残りの方の
卒業式の模様を伝えるドキュメンタリー番組に
レポーターとしての仕事を依頼され
初めて沖縄の地を踏む
この番組の仕事がきっかけで学徒隊の方との
交流が始まり、取材を重ね
1992年には自身初のエッセイ本
『ひめゆりたちの祈り』を出版する
以降も機会があれば反戦の思いを発信している
今年2023年には同じく沖縄戦の映画に主演し
原爆詩の朗読などの活動で
なおこの記事は後編へと続きます
参照:
キネマ旬報社『日本映画俳優全集・女優編』
東京国立近代美術館フィルムセンター『NFCニューズレター第99号』
2016年8月18日放送BS朝日「熱中時代」
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