今年でデビュー70周年!祝!米寿!芦川いづみさん!
今回紹介するのは浅丘ルリ子さんや
吉永小百合さんが登場する前から
日活のスター女優として活躍され
引退して50年以上経ったいまでも
東京の名画座で特集上映が組まれれば
たくさんのお客さんが詰めかけるという
根強い人気を誇る芦川いづみさんです!
今年はデビュー70周年を迎え
再び特集が行われたそうです
旦那さんの藤竜也さんは高齢なのに
いまでも俳優として映画にTVに大活躍ですよね!
そして芦川さんは今日米寿を迎えました!
おめでとうございます!
今回はそんな芦川さんの魅力に迫ります
芦川いづみプロフィール
(東京・丸の内で撮影された芦川いづみさん)
SKD在籍中に川島雄三監督に見出され映画界に
芦川いづみ(本名:伊藤幸子)は1935年10月6日
父と母の一男二女の長女
(実家(当時)で妹と遊ぶ芦川いづみ。雑誌「映画と演劇」1956年3月号より)
川島雄三監督の勧めで日活に移籍
1951年市島中学から法政大学付属
潤光女子高校へ進むが翌年に中退して
松竹歌劇団(SKD)付属音楽舞踊学校に入る
同期に野添ひとみがおり
芸名を芦川いづみとする
1953年ファッションショーに出演中
偶然居合わせた松竹の川島雄三監督に
認められて川島監督の「東京マダムと大阪夫人」に
純情娘に扮してデビュー
(芦川いづみのデビューを伝える記事。雑誌「藝能画報」1953年10月号より)
1954年には鶴田浩二の「蛮から社員」
美空ひばりの「若き日は悲し」に端役で出演する
同年6月に日活は製作を再開すると同時に
松竹から北原三枝を引き抜いたが
まだ手薄な女優陣の強化のために
日活に移籍してきた川島監督の推薦もあり
純情型の個性の芦川に注目
芦川も同期の野添ひとみが1952年に
「うず潮」でデビューして以来
松竹のホープとして活躍しているのに刺激され
1955年にSKDを退団、日活に入社する
日活入社第一作は新東宝との競作で
話題となった市川崑監督の「青春怪談」で
熱烈に慕う娘・新子に扮して好評を得る
続く青春喜劇「春の夜の出来事」では
社長令嬢に扮して若原雅夫を相手に初主演
同年日活に入社したばかりの長門裕之と組んで
戦記物「七つボタン」、初の時代劇「人肌蝙蝠」、
純愛ドラマ「未成年」(1955年)
明朗喜劇「裏町のお転婆娘」(1956年)に出演
ちなみに彼女のニックネームはSKD時代から
"オムギ"だった
この由来は女優の有馬稲子と一緒に写真撮影をした際
顔が似ていて有馬が"オイネ"なら芦川は"オムギ"
であろうということで付けられた
川島監督の作品に立て続けに出演してスター女優に
また川島監督に気に入られ「風船」(1956年)に
森雅之はじめ風船のように気まぐれな
登場人物の中で一人まともな小児麻痺の娘
「須崎パラダイス・赤信号」(1956年)に
愛欲に溺れる三橋達也に清い愛を捧げる
蕎麦屋の店員。「幕末太陽伝」(1957年)に
舞台となる女郎屋の放蕩息子に惚れられる女中
などいずれも助演ながら重要な役に起用される
(映画「風船」より。左は新珠三千代さん)
ほかにも1956年には三國連太郎の「死の十字路」
月丘夢路の「東京の人」前後編
葉山良二の「しあわせはどこに」に共演するなど
親しみを感じさせる清純可憐な持ち味で
北原三枝とともに再生日活の中心的な存在となった
(映画「しあわせはどこに」。いちばん左が葉山良二。
雑誌「画報 近代映画」1956年8月号より)
プライベートでは映画「東京の人」のときに
葉山良二と恋仲になる
石原裕次郎の相手役として欠かせない女優に
華々しいデビューを飾った石原裕次郎と
田坂具隆監督の佳篇「乳母車」で初共演する
裕次郎はこの作品で伸びやかな個性を発揮して
好感を持たれ、単なる太陽族スターでないことを証明
芦川も明るく聡明な娘を爽やかに演じた
以後裕次郎の人気が上昇するにつれて
共演作も増えて「紅の翼」(1958年)
「男なら夢を見ろ」「男が命を賭ける時」(1959年)
「あじさいの歌」「喧嘩太郎」
「あした晴れるか」ではヒロインに
「陽のあたる坂道」(1958年)
「若い川の流れ」「清水の暴れん坊」(1959年)
「青年の樹」(1960年)には助演にまわるが
日活の屋台骨を支えた裕次郎映画には
なくてはならぬ存在となる
(映画「乳母車」より。これ以降裕次郎映画のヒロインとして活躍する)
1961年には北原が裕次郎との結婚で引退してからは
「街から街へつむじ風」「あいつと私」
「堂堂たる人生」「アラブの嵐」(1961年)
「男と男の生きる街」「青年の椅子」
「金門島にかける橋」(1962年)
「鉄火場破り」(1964年)
「夜のバラを消せ」(1966年)などで
北原が去った後のヒロインの座を
守り続ける一方で、年齢的にも成長した
浅丘ルリ子にその座を徐々にゆずっていき
「憎いあんちくしょう」(1962年)では助演
その間に1958年の滝沢英輔監督の「佳人」では
理不尽な結婚によって恋人(葉山良二)との
愛を踏みにじられる病弱の少女の悲運を
可憐な美しさで見せ、彼女の代表作の一つとする
幅広いジャンルの映画で独自の魅力を発揮
ついで同年の舛田利雄監督の「完全な悪戯」では
無軌道の生のエネルギーにもてあそばれる娘を
好演するなど独自の個性を発揮する
その個性を言葉に表すと芯の強い明朗さと
それとはまるで逆のひ弱な悲しさを
併せ持つ魅力といえようか
(映画「完全な悪戯」より。左から小林旭、芦川いづみ、葉山良二)
そうした魅力は前出の裕次郎との共演作
葉山良二の「哀愁の園」「命も恋も」(1957年)
「夜の狼」(1958年)「風のある道」(1959年)
「東京の孤独」(1959年)「やくざの詩」(1960年)
川地民夫の「知と愛の出発」(1958年)
長門裕之の「その壁を砕け」「ゆがんだ月」(1959年)
赤木圭一郎の「霧笛が俺を呼んでいる」(1960年)
などの青春映画からアクション映画まで
多様な作品のなかで十分に見られた
そして1962年蔵原惟膳監督の
「硝子のジョニー・野獣のように見えて」
でその魅力は大きく開花する
によって運命を翻弄されつつも
男たちを魅了してやまない流浪の女を
白痴美とも聖なる美しさとも見える
演技で体現し鮮烈な印象を与え
彼女の代表作とした
(映画「硝子のジョニー・野獣のように見えて」より。)
若いスターを引き立てる助演が多くなる
「こんにちは赤ちゃん」「若草物語」(1964年)
「風車のある街」「愛と死の記録」(1966年)
太田雅子(のちの梶芽衣子)「太陽が大好き」
(1965年)などの青春映画。高橋英樹の
「日本仁侠伝・血祭り喧嘩状」(1966年)
渡哲也の「嵐を呼ぶ男」(1966年)などの
アクション映画に出演するが
むしろ若いスターを引き立てる役が
多くなっていく
同じ日活の俳優・藤竜也と結婚して引退
しかし一方では主人公の少年が慕う教師に
敗戦後の怪事件に巻き込まれる娘に扮した
熊井啓監督の「日本列島」(1965年)
人斬り五郎(渡哲也)を仇と狙う男の情婦で
密かに五郎に思慕の情を寄せる女に扮した
舛田利雄監督の「大幹部・無頼」(1968年)
などに堅実な演技力を示す
一時多くのコンビ作を生んだ葉山良二との
ロマンスが噂になったが
1968年に同じ日活の藤竜也と結婚
同年の吉田憲二監督の「孤島の太陽」の
出演を最後に引退した
TVドラマでは日本テレビ「信子」(1964年)
TBS「陽のあたる坂道」(1965)
「志都という女」(1967年)
フジテレビ「拾い育て失う」
「おねえさん」(1967年)
NET「空に真赤な雲のいろ」(1967年)
「花の恋人たち」(1968年)に出演している
引退後はメディアの取材に応じても表舞台には出ず
引退後は新聞や雑誌のインタビューや
出演映画のDVDのコメンタリーを
引き受けることはあっても
表舞台に姿を現すことは
現在に至るまで一貫してない
ただかつての日活仲間とは
現在も交流を続けているという
2010年代から東京の名画座での特集が大盛況!
2010年代には都内にある名画座
神保町シアターで芦川の特集を組んで上映すると
多くの観客が駆け付けるという
出ぎ事が起こった
観客のなかにはリアルタイムで
彼女のことを知らない世代も含まれていて
懐かしくて見に行くファンだけでなく
新たに彼女の魅力を「発見」し
駆け付けた後追いファンもいることがわかり
彼女の魅力は世代や時代を超えて
人々の心を打つことが証明された
なおこの記事は後編へと続きます
参照:
キネマ旬報社『日本映画俳優全集・女優編』
雑誌「キネマ旬報」2012年6月上旬号
高崎俊夫・朝倉史郎編『芦川いづみ 愁いを含んで、ほのかに甘く』
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