昭和寅次郎の昭和レトロブログ

昭和を知らない世代による昭和レトロ、昭和芸能のブログです!

祝・生誕100年!シャンソンの女王・越路吹雪さん!(後編)~性別を超越したような存在感あるスター~

 

前編からの続きです

 

shouwatorajirou.com

 

ここでは前編のプロフィールの続きと

私が思う越路吹雪さんの

歌手・舞台女優としての魅力を

綴っていきたいと思います

 

プロフィール(続き)

 

 

ミュージカルスターとして活躍

 

やはり彼女の本領を発揮したのは

歌手としての魅力を十二分に生かした

ミュージカル出演である

 

帝劇「お軽と勘平」(1951年)と

「美人ホテル」(1952年)で榎本健一と共演

屋根の上のバイオリン弾き」(1967)で

森繁久彌と、東京宝塚劇場金瓶梅

(1957年)で高島忠夫

「浅草の灯」(1959年)、「香港」(1961年)

王様と私」(1965年)で市川染五郎

日生劇場結婚物語」(1969年)で平幹二郎

「アプローズ」(1972年)、「日曜はダメよ!」

(1974年)、「結婚物語」(1977年)で

細川俊之と共演、「リトル・ナイト・ミュージック」

(1979年)にも出演

ミュージカルスターの第一人者として

活躍を続ける

 

(「リトル・ナイト・ミュージック」より)

 

一方、1957年には新橋演舞場

「曽根夫人の黒眼鏡」で新派の初舞台を踏み

川口松太郎は「派の中に入っても

違和感はない。さすがわ名女優」と感嘆

歌わない女優としても一流であることを証明した

 

さらに1961年には七代目松本幸四郎

追善公演で歌舞伎座「花と野武士」に

特別出演

 

そのほか芸術座「バス・ストップ」

(1957年)、「女は占領されない」

(1959年)、「台所太平記」(1968年)

日生劇場「さよならチャーリー」

(1969年)に出演

 

(「さよならチャーリー」より)

 

ロング・リサイタルの成功

 

一方、彼女の真骨頂はリサイタルに

最もよく示されている

 

1963年に東宝を離れ

フリーになったのを機に

1968年の第14回公演では日本初の

11日間にわたるロング・リサイタルを開催

 

(ロングリサイタルより)

 

翌年からは1か月に延長

1971年にはドラマティック・

リサイタルとして「愛の讃歌-

エディット・ピアフの生涯」を上演

絶賛を博し、前売券が高い席から売れていき

数日で完売という驚異的な盛況を見せた

 

初日開幕の前には心臓が喉から

飛び出すほどの緊張感に襲われる

という彼女だったが、豪華な衣装を

身にまとい熱唱するショーは

大人のムードを持ち

社会的ステイタスも満足させ

期待を裏切られることもない

 

その才能を開花させ、持続させた原動力に

彼女のマネージャーとして

よき相談役でもある作詞家の岩谷時子

そして1959年に結婚した夫・内藤法美の

存在があった

 

東京キューバン・ボーイズの

ピアニスト出身で作曲・編曲者の彼と

知り合ったのは。1952年の日劇ショー

「リオの黒ばら」の打ち合わせのときで

以来、彼女にとっては「自分の声を生かすのに

最もふさわしい曲を書いてくれる人」で

内藤にとっては「自分の曲を期待以上に

歌いこなしてくれる歌手」となった

 

東芝レコーズに所属し、リサイタルで

よく歌われた彼女を代表する曲として

愛の讃歌」「ラスト・ダンスは私に」

「サン・トワ・マミー」「ろくでなし」

「人生は過ぎゆく」「毛皮のマリー

「妻へ」「ちょっとおたずねします」

などがある

 

TV出演は少ないながらも紅白出場・レコ大も獲得

 

TVドラマへの出演は少なく

NHK「ラスト・ダンスは私に」(1964)

日本テレビ「声」(1961年)

「男嫌い」(1963年)「アトミックのおぼん」

(1964年)など

 

音楽番組ではNHK紅白歌合戦

1955年から69年まで15回連続出場するが

以後は辞退している

 

1964年にはフジ「ミュージック・フェア64」の

司会をつとめ、1971年のNHK

「世界のワンマン・ショー」に

日本人としては初出場

ビッグ・ショー」(1976年)にも出演する

 

1957年度テアトロン賞第四部

ミュージカル・レビュー・大衆演劇を受賞

1965年には日本レコード大賞歌唱賞を

「ワン・レイニー・ナイト・イン・

トーキョー」で受賞

1968年度芸術祭奨励賞大衆芸能部門を

リサイタルの歌唱で受賞

1971年度芸術祭優秀賞・大衆芸能部門を

ドラマティック・リサイタルで受賞

 

1980年西部劇場「古風なメロディ」で

米倉斉加年と共演後の7月

東京・目黒の共済病院にて

胃潰瘍の手術を受け

三度の入退院を繰り返したが

治療のかいもなく11月7日に

胃がんのため56歳の生涯を閉じた

40年に及ぶ芸能生活で

圧倒的な人気を誇っていただけに

あまりにも早すぎる最期だった

 

(「古風なコメディ」で米倉斉加年と)

 

かつて交際を噂された三島由紀夫

西欧的豪華とお茶漬け的哀愁と

豊麗な女性的魅力と……そういう相反するものを

一身にそなえたスター」と賛辞を送った

彼女は日本が生んだ最も偉大な

エンターテイナーといっても過言ではない

 

越路吹雪さんの魅力(歌手・女優として)

性別の枠組みを超越したような存在

 

越路吹雪さんは宝塚時代は

男役をやっていましたし

中性的な魅力があると思うのです

 

ステージで歌っている姿を

以前TV(BSの番組)で

少しだけ拝見しましたが

とてもエネルギッシュに歌い

あるときはガナったり

またあるときは恋する女性のような

繊細さを見せたりと

男性と女性の枠を自由自在に

行き来しているような印象を受けました

 

わたしはその歌いっぷりに

生のステージではなくTVでの映像だったのに

鳥肌が立った記憶があります

 

現代はジェンダーフリーだとか

よく言われていますが

そのはるか前にもうすでに

ひとりで成し遂げていたのです

これはすごいと思います

 

ステージでの迫力

 

ステージ、つまり舞台での演技は

映画よりは少しオーバーアクションに

なるかと思いますが

越路さんの演技は迫力はもちろんのこと

ぐっと観る人を引き付ける

力があって思わず吸い寄せられて

見入ってしまうものがありました

たった一人の演技でも、です

 

これをカリスマ性というのでしょうか

 

なので越路さんの魅力はCDを聴くだけでなく

ステージでの歌唱映像や

ミュージカルの映像を見てみると

より深くわかるかもしれません

 

でもまぁあの三島由紀夫さんですら

言葉を詰まらせて彼女の魅力を

語っているので言葉でその魅力を

表現するのが難しい方なのだと思います

 

 

参照:

キネマ旬報社『日本映画俳優全集・女優編』

松本徳彦著『越路吹雪 愛の讃歌