昭和寅次郎の昭和レトロブログ

昭和を知らない世代による昭和レトロ、昭和芸能のブログです!

思わず胸が熱くなる!越路吹雪さんと作詞家・岩谷時子さんの友情を超えた絆

 

越路吹雪さんと作詞家・岩谷時子さんの絆

 

今年生誕100年を迎えた昭和のスター

越路吹雪さんと昭和を代表する作詞家の

岩谷時子さんには知る人ぞ知る

感動的なエピソードがあるのです

 

ご存知の方も多いかと思いますが

そうでない方も多いと思いますので

生誕100年を迎えて記事を書いた

この機会に多くの方に知ってもらおうと

紹介することにしました

 

越路吹雪さん(左)と岩谷時子さん(右))

宝塚が大好きだった岩谷時子さん

 

少女時代の岩谷時子さんは

母とよく宝塚歌劇を見に行きました

 

宝塚スターのキレイな姿に魅了され

スターにファンレターを書いたことも

 

大学に進学してからも宝塚への思いは

覚めることなく、宝塚歌劇の文芸出版部が

発行している『歌劇』や『宝塚グラフ』に

物語を投稿するようになりますが

なかなか掲載されることなく苦労するものの

図書館に通いながら投稿を続けていると…

 

宝塚文芸出版部から声がかかる

 

1939年、宝塚文芸出版部の方から

便りが届き、岩谷さんは編集部に呼ばれます

 

編集部を訪れると『宝塚グラフ』に

岩谷さんの投稿作品を掲載したいということと

編集部で採用したい旨を告げられました

 

憧れの宝塚で働くことになった岩谷さんの

このときの気持ちは天にも昇る気持ち

といったところだったでしょう

 

編集部で働き始めた岩谷さんに運命の出会いが…

 

編集部に採用された岩谷さんが

任されたのは『宝塚グラフ』の

編集のお仕事でした

 

岩谷さんの仕事ぶりは社内でも

好評で「校正大臣」呼ばれるほどで

『歌劇』の校正まで担当することに

なりました

 

そんな編集部で順調に仕事が

進んでいるとき

ひょろりと痩せた顔の長い生徒が

サインを一緒に考えて欲しい」と

岩谷さんのところを訪ねてきました

 

その生徒こそコーチャンこと

越路吹雪さんでした

 

岩谷さんの越路さんに対する第一印象は

ぶっきらぼうで面白い子」でした

 

以前書いた越路さんの記事でも

「清く・正しく・美しく」という

宝塚のスローガンに収まらない方だと

書いた通りの印象ですね

 

出逢ってから距離が縮まる2人

 

その後岩谷さんと越路さんは

帰り道が一緒になったり

電車で同じ車両に乗り合わせたりと

何度か出会っていくうちに

よく話すようになりました

 

コーチャンの映画界進出をきっかけに付き人に

 

宝塚では映画会社からの

スター引き抜きに悩まされており

トップスターとなった越路吹雪さんの

流出にも危機感を抱いていました

 

そこでコーチャンにしばらくは

まだ宝塚に残って欲しいと

説得してくれないかと

岩谷さんは言われました

 

下の記事に書いてように

宝塚はコーチャンを宝塚に在籍しながら

映画出演を許可するという案を出しました

 

shouwatorajirou.com

 

コーチャンの第一回映画出演作

「東京の門」の撮影のため

岩谷さんと男性1人が同行して

特急列車に乗って東京に向かいました

 

そう、これがあの有名な岩谷さんの

コーチャンの付き人の始まりでした

 

いいかい越路君、宝塚と違って

東京にはね悪い男がいっぱいいるんだ

これからは気をつけなきゃいけないよ

岩谷君、越路君に変な虫がつかないよう

しっかり頼むよ

 

と岩谷さんは宝塚創業者・小林一三

上記のように言われました

 

越路さんの一声で訳詞を担当することに

 

あるとき越路さんは

もう進駐軍に気を使わなくていいから

わざわざ下手な英語で歌いたくないの

私は日本人なんだから日本語で歌いたい

と話しました

 

岩谷さんんもその考えに同意でしたが

翻訳者に頼むと経費が掛かります

 

越路さんは「ねえ、時子さん

あなた訳詞してよ

あなた、神戸女学院の英文科

出てるんだから」と突然の

コーチャンの無茶ぶりに

岩谷さんは戸惑いますが

訳詞をやってみることにしました

 

これが作詞家・岩谷時子さんの

誕生の瞬間で同時に日本初の女性作詞家

ということにもなりました

 

1952年公開の映画「上海の女」の主題歌

「ふるさとのない女」を皮切りに

愛の讃歌」など越路さんの歌の訳詞を

書くようになり、やがてはフリーの

作詞家となってザ・ピーナッツ

加山雄三さんなどほかの歌手の

作詞も担当するようになり

岩谷さんは日本歌謡界で大活躍!

 

そのきっかけを作ったのは

ほかのだれでもない越路吹雪さんでした

 

コーチャンは自身も歌手として女優として

昭和の芸能史に大きな足跡を残しただけでなく

昭和を代表する作詞家まで誕生させて

しまうなんて、すごいですね!

 

極度に緊張する越路さんをなだめた岩谷さん

 

越路吹雪さんはロングリサイタルというのを

敢行して大盛況になったことは

以前の記事を読んでくださった方は

お分かりかと思いますが

この舞台裏では越路さんは極度の

緊張に悩まされていたのです

指先が細かく震えるほどだったそうです

 

そんな越路さんをなだめ

ステージに送り出していたのが

岩谷さんでした

 

岩谷さんは越路さんの背中に「虎」

と手でなぞるように書いて

あなたは強くて美しい「虎」なのよ

客席の人間たちに向かって

吠えてくればいいわ」と背中を押し

越路さんは無事にステージを

こなすことができたのです

 

と、お二人の関係をダイジェストで

紹介してきたわけですが

どうでしょう?すごい運命的で…

 

友情を超えたこの固い絆をどう

表現すればいいのでしょう?

 

大きな人間愛でしょうか

あまりに美しいエピソードです

 

ともに支え合ういい関係で

また歌手と作詞家という

違うフィールドで大きな功績を残した

このお二人を讃えるために

最後に越路吹雪さん歌唱

岩谷時子さん訳詞の「愛の讃歌」を

聴いていただいてこの記事を締めます

 

これから春という出会いと別れの

季節がやってきます

 

越路さんと岩谷さんのような…

とまではいかなくとも

ステキな出会いが皆様に訪れますように…

 


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参照:

村岡恵理著『ラストダンスは私に 岩谷時子物語』