昭和寅次郎の昭和レトロブログ

昭和を知らない世代による昭和レトロ、昭和芸能のブログです!

なぜ日本は自国の文化の価値がわからないのかー映画「羅生門」のエピソードから考えてみたー

 

前置き(「羅生門」の記事から考えたこと)

 

映画「羅生門」の紹介記事を書いた際

映画にまつわるエピソードを書ききれないため

エピソードだけを集めた記事を1本書こうか

などと書いたのですが

エピソードなら調べればわかることですし

それだけ羅列しても面白い記事には

ならないだろうと判断したため

違う切り口で記事を書いて

書ききれなかったエピソードを

盛り込むのはどうかと思いまして

表題のような記事を書くことにしました

 

羅生門」の記事をご覧になっていない方は

以下からどうぞ

 

shouwatorajirou.com

 

前置きはこれくらいにして

本題に入ります

 

 

グラン・プリ受賞に関しての黒澤明監督の発言

 

映画「羅生門」がグラン・プリを受賞した際

黒澤明監督は次のような言葉を残しています

 

実は僕、あの写真がヴェネツィア

送られたことも知らなかったのですよ

 

あれを向うへ送ってくれたのは

ほんとにイタリフィルムの

ストラミジョリさんの功績です

受賞祝賀会のときにも僕は

言ったのだけどね、日本映画を一番

軽蔑していたのは日本人だった

その日本映画を外国に出してくれたのは

外国人であった

 

これは反省する必要はないか

と思うのだな

 

浮世絵だって外国へ出るまでは

ほんとに市井の絵に過ぎなかったよね

われわれ、自分にしても自分のものにしても

すべて卑下して考えすぎるところが

あるんじゃないかな?

 

羅生門」も僕はそう立派な作品だとは

思っていません

だけどあれはマグレ当りだなんて言われると

どうしてすぐそう卑屈な考え方を

しなくちゃならないんだ、って気がするね

 

キネマ旬報社『世界の映画作家3 黒沢明』より引用

 

黒澤監督の発言を受けて調べてみた

 

確かに近年のシティ・ポップブームも

外国の方が評価して、そこから

逆輸入という形でブームになっていて

日本人自らが積極的に売り出した

というわけではないですよね

 

そこでなぜ日本人が自国の文化を

自ら評価して海外に紹介できないのか

ちょっと調べて考えてみました

 

gentosha-go.com

 

なるほど、欧米人は日ごろから

芸術に親しんでいて

各家庭に絵が飾ってあったり

生活に芸術が根付いている

確かにこれは一理ありそうですね

 

よく「絵画展に行った」ですとか

「お芝居を見に行った」というと

「高尚な趣味だ」なんて言われますが

欧米ではそういう発想には

なりそうにないですね

 

さらに国家予算の差も

欧米とは桁違いであると…

 

でもまだ私はこれだけでは

合点がいきませんねぇ

 

www.leon.jp

 

こちらの記事にある「日本の金持ちが

精神的に貧困」というのは頷けます

絵画収集にお金をかける経営者は

少ない気がします

 

さらには日本の相続税に問題

制度の問題を指摘する記事もあります

 

newsdig.tbs.co.jp

 

しかしこれでもまだ私は

納得しきれないんですよねぇ…

 

根底には西洋に対するコンプレックスがあるのでは?

 

黒澤監督は「軽蔑」という表現を

使われていますがそれだけではなく

日本の文化は西洋と比べると

何だかカッコ悪い、恥ずかしい

日本の文化が欧米で通用するわけがない

といった卑屈な気持ちがあるのではないか

という気がしてならないのです

 

黒澤監督が「羅生門」でグラン・プリ

受賞して以来、今度は溝口健二監督の

一連の作品が受賞を重ねました

 

西洋にないもの、日本の時代劇であれば

エキゾチックな要素が満載で

海外の人も喜んでみてくれるのでは?

という動機から溝口監督なり

黒澤監督を映画祭に出品したのではないか

という気がします

 

小津安二郎監督作品は出品されなかった

 

いまでこそ世界的な映画監督として

高い評価を受けている小津安二郎監督は

時代劇ではなく、現代劇でホームドラマ

当時の庶民の姿を切り取った作品だから

海外の人たちは興味を示さないだろうと

勝手に判断して、映画祭には出品しませんでした

 

それだから小津監督は海外の映画祭の

受賞歴がないのです

 

でも海外の人たちから大いに賞賛を浴びる

映画監督になり、現在では黒澤監督と並び

語られることも多い

それが小津安二郎監督です

 

スポーツの世界も同じではないか?

 

私はこれは映画に限らず

スポーツの世界でも西洋に対する

コンプレックスを感じているのではないか

と考えています

 

例えば約30年ほど前

アメリカのメジャーリーグに渡った

野茂投手はメディアで

「日本人がアメリカで通用するわけない」

と否定的な意見が多数だったことを

ぼんやりと記憶しています

 

それからイチローも体格面で

メジャーリーグの選手と見劣りするため

通用しないと言われていました

 

そして記憶に新しい大谷翔平選手は

前例にない2刀流は無理だ

という声が日本のプロ野球入りの際に

散々言われていました

 

日本は抜きんでる人の芽を摘もうとする?

 

でも例に挙げた3人は見事に成功し

成し遂げた快挙もすばらしいです

 

どうも日本人の中には

抜きんでようとする人の芽を

摘もうとする文化があるような気がしています

 

一般の方でも

何か資格を取ろうとしたり

英語を勉強したりしようとすると

「〇〇歳からでは無理だよ」などと

ネガティブなことを言われた

経験はありませんか?

私にはあります

 

どうして素直に応援できないのでしょうね

 

と徐々に日本人論みたいになってきて

話が大きくなりそうなので

この辺で止めますが

日本が自国の文化の価値がわからないのは

西洋へのコンプレックスがあって

西洋から褒められないとわからない

そういった部分があるから

羅生門」をヴェネツィアに送ったのは

日本人ではなくイタリア人だった

ということなのだと思います