- 今年は関東大震災から100年!
- 古賀政男さんについて簡単なプロフィール
- 作曲家・古賀政男さんが体験した関東大震災
- 古賀政男さんの体験から感じること
- コロナ禍と同様に学生アルバイトに影響が出る?
- もし真夏に大地震が起こったら?
- 体験談を書いてくださった古賀政男さんに感謝!
今年は関東大震災から100年!
今年は関東大震災から100年が経つということで
新聞や本やネット記事からTVまで
さまざまなメディアで特集されていますね
津波の被害もあったですとか
また国立映画アーカイブさんのサイトでは
さまざまな映像や資料を見るとができます
ご興味のある方はどうぞ
kantodaishinsai.filmarchives.jp
そこで今回取り上げるのは
ここは昭和芸能のブログですから
昭和に活躍した芸能人の関東大震災の
体験談を紹介したいと思います
今回は作曲家の古賀政男さんです
古賀政男さんについて簡単なプロフィール
古賀政男さんについてご存知ない方のために
簡単にプロフィールを紹介しますと
昭和歌謡界を代表する作曲家さんで
藤山一郎さん「影を慕いて」(1932年)
ディック・ミネさん「ふたりは若い」(1935年)
霧島昇さん「誰か故郷を想わざる」(1940年)
村田英雄さん「無法松の一生」(1958年)
島倉千代子さん「想い出さん今日は」(1958年)
美空ひばりさん「柔」(1964)
などなど数えきれないほどのヒット曲を
戦前から戦後にかけて世に送り出してきた方で
1977年には作曲家として初めて
国民栄誉賞を受賞されました
東京には古賀政男音楽博物館がありますので
ご興味ある方は足を運んでみてください
(私は行ってみたいです!)
それでは本題に入ります
作曲家・古賀政男さんが体験した関東大震災
「大正12年、朝鮮にいた母が郷里大川に引き揚げるので
京城(現在の韓国・ソウル)まで迎えに行った
9月1日東京に帰る汽車が名古屋付近にさしかかった午後
車中に関東大震災のニュースが伝わってきた
通信網が途絶しているため詳細はわからなかったが
汽車は名古屋までしか行けないという
(中略)
噂では東京では猛火に包まれ
全滅してしまったということであった
私は仕方なく広島まで引き返し
東海道線の開通を待つことにした
そのとき最も気掛かりだったのは
下宿に残してきたマンドリンが
どうなったかということであった
私はそれまでどこへ行くにも
マンドリンを身辺から放したことはなかった
(中略)
9月中旬ようやく開通した東海道線で
列車にしがみつくようにしながら上京してみると
東京は無残な焼土となっていて
九段坂から眺める神田一帯は
すっかり焼け野原であった
幸いなことに千駄ヶ谷付近は災禍を逃れ
下宿も無事であった
押入れをあけて見ると
なつかしいマンドリンがかすり傷一つ負わず
このことだけはまことに幸運であった
しかし私の生活は間もなく
極度に苦しくなっていった
震災後の東京には学生向きのアルバイトは
全くなかった
(古賀政男著『自伝 わが心の歌』より引用)
(大震災で完全に横倒しになってしまった列車)
古賀政男さんの体験から感じること
この大震災のときは古賀政男さんは
明治大学在学中で自ら創設した
マンドリンクラブで活動し
アルバイトをしながら勉学に励んでいた
そんな学生生活を送っていました
古賀政男さんの体験から危機感を覚えるのは
東海道線が名古屋で止まったというエピソードですね
このときはすぐに復旧して古賀さんは
東京の下宿に帰ることができましたが
当時といまでは状況が違います
それは東海道線が走るそばに
海のすぐそばにある浜岡原発に
大きな津波が押し寄せたら福島と同じことが
起こることが懸念されます
そして福島と同じように爆発事故が起きて
放射能が外部に漏れてしまえば
東海道線は西日本からから東京方面へ
東京方面から西日本への列車が
運行できなくなります
そうなると物流に大きな影響が出て
食料などを届けられなくなる
といった影響が心配になります
コロナ禍と同様に学生アルバイトに影響が出る?
古賀さんの文章で最後
学生向きのアルバイトがなくなったと
書かれていますが
これはコロナ禍でアルバイトでできなくなった
学生さんがたくさん出たことを
思い出させるエピソードですね
物流に影響が出て食糧不足になることが
懸念されていますから
防災用に食料品は用意しておきたいですよね
あとは通信網の問題も心配ですね
果たしてスマホは使えるのか
使えなくなったときのために
ラジオも用意しておきたいです
でも私たち個人個人ができる対策は
これくらいしかないですよね
原発をどうこうすることはできませんから
もし真夏に大地震が起こったら?
もし真夏に大地震が起こったら
どうなるのか?ということも心配ですよね
もし電気が使えなくなってしまったら
エアコンが使えず地震そのもので
命を落とさなくても熱中症で多くの方が
バタバタと倒れることは容易に想像できます
しかし政府にはそうした危機管理は
いまのところまったくありませんよね
個人で対策できることは限られていますし
対策をいちばん考えて欲しいのは
政治家の方々なのに困ったものです
(骨組みだけ残して焼けてしまった列車)
体験談を書いてくださった古賀政男さんに感謝!
関東大震災の体験談を書いてくださった
古賀政男さんには感謝したいですね
当時に体験された方はいるのですが
特に被害に遭ったことを書いていない
または発言されていない方もいますので
とてもありがたいことです
(汽車が動き出して家族の安否を確認するため、地方から上京する人々と
家を失って帰省しようとする人々で大混雑する様子
古賀政男さんが「列車にしがみつくようにして」上京したときは
まさにこのような状態だったのでしょうか)
この体験から教訓を得て
大地震に備えたいですね
写真:
雑誌「画報 近代百年史」1953年11月号