以前書いた原節子さんについての記事の
第2弾を書いていきます
今回は戦中編と題して
戦時中に主に戦意高揚映画へと駆り立てられた
そんな時代の原さんに迫っていきます
原節子さんプロフィール(戦中)
戦意高揚映画のヒロインに駆り出された
戦前は日独合作映画「新しき土」をきっかけに
人気女優となる一方でまだ駆け出しで
十分に実力が追いついていないにも関わらず
「国際派女優」と人々の期待が高まってしまったため
「大根」と演技は酷評されながらも
日本人離れした美貌から外国ものの翻案
「巨人傳」(1937年)「田園交響楽」(1938年)
などで適役を見つけ始めたころ
次第に戦争の足音が大きくなり
戦意高揚映画が多く作られ始めて
ほかの女優たちと同じように原節子も
出征兵士や軍国の妻といった役どころを
演じることになった
原の義兄・熊谷久虎監督の「上海陸戦隊」(1939年)
では日本兵に反感をむき出しにする
中国人女性に扮した
今井正監督の「女の街」では出征した夫から
残された洋服店をおでん屋に改造して暮らしを立て
夫の帰還を待つ銃後の若妻を演じて
翌1941年の「結婚の生態」(今井正監督)では
スパイ・グループ検挙の特ダネををスクープし
やがて中国大陸へ特派員として従軍する
新聞記者の妻を演じた
1942年の山本嘉次郎監督による
描いた映画で航空兵を志願する少年の姉を演じた
(大ヒットした「ハワイ・マレー沖海戦」より)
同年には再び今井正監督の「望楼の決死隊」に
国境を守る国境警察官の妻を演じ
自身も自ら銃を持って戦うシーンもあった
(「望楼の決死隊」より。原節子自身も銃を手にしている)
「北の三人」では高峰秀子と山根寿子と
女子通信兵の三人娘を演じた
終戦の直前まで国民の戦意高揚のための
ヒロインとして起用されることが多く
女優としては演技のしがいのない
添え物的扱いの小さい役柄が多かった
珍しく出番の多い映画としては
予科練生の成長物語「決戦の大空へ」
(1943年)があったくらいだった
この映画は古関裕而作曲による挿入歌
「若鷹の歌」が大ヒットした
戦意高揚映画以外の映画に出演するチャンスもあった
しかし戦時下にあっても
戦争色のない映画に出演するチャンスもあった
衣笠貞之助監督による時代劇「蛇姫様」では美しい姿を見せた
主演した「東京の女性」では自動車販売会社の
タイピストからセールスマン(セールスウーマン?)
に転身して成功する近代的な女性を演じて
演技面でもメディアから高い評価を得る
また松竹から移籍した島津保次郎監督に可愛がられ
監督の移籍第一作目「光と影」を皮切りに
「嫁ぐ日に」「二人の世界」(ともに1940年)
「兄の花嫁」(1941年)「緑の大地」
「母の地図」(1942年)と6本の島津作品に出演
6本というのは原が出演した
小津作品と同じ本数であった
島津の演技指導は熱心だったといい
戦時下にあっても女優として
活躍できる映画に出演する機会にも恵まれ
自身の成長へとつながった
(「嫁ぐ日に」より。小津映画より先に島津映画で美しい花嫁姿を見せていた)
原節子も戦争に巻き込まれついに日本が敗戦へ
原節子というスター女優と言えども
日本が次第に追い詰められてくると
東京大空襲に巻き込まれて逃げ回り
東京の家は全焼し、横浜の保土ヶ谷に移る
このとき25歳だった
天皇陛下から重大放送があることは
数日前から聞かされていたため
特に驚くことはなかった
ただ戦争が終わって占領され
日本や自分の仕事はどうなるのかという
不安な気持ちを抱いた
田舎に行って農業でもしようかとすら
考えたりした
終戦直後にも原は苦しい体験をする
貧しさと食糧不足だった
家族を守るために栄養失調になりながらも
福島まで買出しに出かけたり占領軍の残飯を
食べざるを得ないこともあった
そして女優業は米英を敵対視する
戦意高揚映画のヒロインから
今度は民主主義を啓蒙するヒロインを演じるという
大転換を迫られることになり
あの小津安二郎監督の名作群への出演で
名声を高めていく時代へと突入していく
参照した書籍
キネマ旬報社『日本映画俳優全集・女優編』