昭和寅次郎の昭和レトロブログ

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吉田拓郎さんは日本音楽史上の偉人!➀フォークミュージックを大衆化させた

 

キンキの番組で拓郎さんを知った世代が綴る拓郎さん

 

吉田拓郎さんの「夏休み」の歌碑が

拓郎さんが通っていた小学校に設置された

ということを取り上げた記事で

「拓郎さん全般のことを書きたい」と

言ったのですが早速取り上げることにしました

 

shouwatorajirou.com

 

しかし若かりしころの拓郎さんを知らず

KinKi Kidsの番組を子どものころに見て

拓郎さんを知った世代ですので

大した内容ではないでしょうし

当時を知る世代の方からしたら常識的な

「そんなの知ってるよ」という

初歩的な内容であることを

どうかご勘弁願います

 

さて本題に入ります

 

フォークミュージックを大衆の音楽にした

 

日本でフォークという音楽ジャンルは

初めはコアな音楽ファンが聴くもの

という風潮があり

ヒットチャートを賑わすような音楽では

なかったそうなのです

 

このブログで以前紹介した

高田渡さんや五つの赤い風船というグループなど

いまでいうインディーズで活動していた

アングラフォークと呼ばれた

シンガーやグループがそうです

 

shouwatorajirou.com

 

フォークに女性ファンを作った

 

シンガーソングライターのなぎら健壱さんによると

初めて拓郎さんを聴いたときに

アングラフォークの方たちと同様に

ボブ・ディランに影響されていて

アングラフォークの子分的な存在に映り

もうアングラに影響された歌手が出てきたか

早いなぁというような感想を抱いたそうです

 

ところがフォークのコンサートでは

「どこか違うぞ?」という反応が出ました

 

それは女性ファンがコンサート会場に

現れたことでした

1970年にアルバム「青春の詩」が発売されたころに

そのような女性ファンが駆け付けるようになり

彼女たちはほかの歌手が歌っているときは

ペチャクチャと喋り、拓郎さんが出てくると

黄色い歓声を上げていたそうです

つまりはアングラフォークにはあまり興味がなく

拓郎さんのルックスなどに惹かれ

いわばアイドル視していたのです

 


www.youtube.com

 

 

男性ファンからは「フォークはGSと違うのに

どうして女性がくるのか」という疑問が噴出しました

 

例のキンキの番組で知った世代の私からすると

拓郎さんがキャーキャー言われていたなんて

なかなか想像できないのですが(笑)

それはともかく当時の女性のハートを掴んだわけです

 

 

コンサートで「帰れコール」を浴びる

 

アングラフォークを愛好していたファンは

「これではフォークが歌謡曲になってしまう」

と危機感を抱くようになりました

 

実際に1972年に発売した「結婚しようよ」は

ヒットチャート3位を記録する大ヒットとなりました

 

つまり初めて「売れ線」のフォークが誕生したわけです

 

そこでついに同年のフォークのコンサートで

拓郎さんが登場すると「帰れ」コールが

巻き起こるという事態が起きました

 


www.youtube.com

 

この「帰れ」コールを浴びたエピソードは

拓郎さんが敬愛してやまない

ボブ・ディランを思い起こさせますね

ボブ・ディランもエレキを持って出てきたときに

同様の「帰れ」コールを浴びましたから

いわゆる「フォーク・ロック」誕生の瞬間ですね

1965年の出来事でした

 

rockinon.com

 

でもいまや拓郎さんは日本の音楽界の偉人

ディランさんに至ってはノーベル賞受賞者です!

 

新しすぎるものは最初は反発を招き

正当に評価されるまでに時間がかかるものなんですねぇ…

それが音楽や映画や絵画や文学といった分野の

面白いところでもあるのですが

 

話を拓郎さんに戻しますが

拓郎さんの登場により

フォークは硬派と軟派に分かれ

拓郎さんは独自の道を歩んでいくことになります

 

と拓郎さん記事第1弾はここまでなのですが

これはほんの序章に過ぎません

 

私のような世代の人間からすると

このあとの拓郎さんのやってきたことの方が

オドロキがいっぱいです

 

特に10代から30代の方に読んでいただきたいですね

 

第2弾に続く…

 

そういえば某百科事典サイトによると

拓郎さんはNHKのオーディションに落ちたそうですね

このことの方がビックリしました!

 

当時はNHKのオーディションに落ちた場合

年末の紅白歌合戦に出られなかったのです

あの拓郎さんが!信じられません!

だから紅白は落ちぶれていったのですね…

 

参照:

なぎら健壱著『日本フォーク私的大全』