- いま誰もが感じている?「何のために」働くのか
- 働く意味を問うザ・フォーク・クルセダーズ「何のために」
- 歌詞を見てみる
- フォークグループなのに全編ストリングスアレンジ!
- 歌詞は表面的には反戦歌に思えるけれども
- 年金をもらいながらも働く日本を外国はどう見ている?
- 負担増が見返りや社会への還元が実感できない
いま誰もが感じている?「何のために」働くのか
敬老の日になると
高齢者に関する記事が
あらゆるメディアに出ます
100歳以上の人口が過去最高となったですとか
でも私が気にするのは
下のような内容の記事です
働く高齢者の数が過去最高になっている
というものです
さらに下の記事では70歳以上の男性の
就業率が45.7%ということが書かれています
70代男性のおよそ半数の方が
働いているということになります
実際に私の父も70代に突入しましたが
週に3回くらいですが働いています
理由は年金支給額が少なく
年金だけでは暮らしていけないからです
私が子どものころは中学、高校、大学と
進学するにつれて自然と恋人ができて
会社に入って結婚して子どもを産んで
60歳で定年を迎えて年金で生活する
学校の先生もそのようなことを言っていましたから
そんな未来図を漠然と描いていましたが
蓋を開けてみれば全然違う未来が待っていました
私の父親ですら苦労しているのですから
私のような世代やさらに若い世代は
年金支給年齢もさらに引き上げられて
支給額も少なくなり年金をもらえないまま
孤独死してしまうかもしれません
さらに若い世代は好景気を経験していませんし
非正規雇用が増えて現在の給料も少なく
上がる見込みもなく
生活が苦しい方も多いです
これで幸せでしょうか
幸せな未来が描けるでしょうか
働く意味を問うザ・フォーク・クルセダーズ「何のために」
そんな身を粉にして働く意味を
問いかけている?と私が思っている歌が
昭和にあります
フォーク・グループ
ザ・フォーク・クルセダーズ(通称:フォークル)の
「何のために」(1968年)です
歌詞を見てみる
それでは歌詞を見てみましょう
作詞は北山修さんです
風にふるえるオリーブの花
白い壁の教会で
ゆれてかたむく十字架のもと
一人の男がたおれてた
何のために 何を夢見て
歯を食いしばり 働いて死ぬのか
ゆれてかたむく十字架のもと
一人の男がたおれてた
われてくだけたステンドグラス
もれる光が目にしみる
戦火にやけたマリヤの像に
母の姿を思い出す
何のために 何を信じて
歯を食いしばり 戦って死ぬのか
戦火にやけたマリヤの像に
母の姿を思い出す
何のために 何を求めて
傷つきつかれ 年老いて死ぬのか
よごれた顔にほほえみうかべ
男はやがて息絶えた
楽曲はこちらです
フォークグループなのに全編ストリングスアレンジ!
フォークソングというと普通は
ギターの弾き語りがあるものですが
この曲に関しては一切なし
全編ストリングスアレンジというのが
何とも斬新です
でもフォークルといえば
「帰って来たヨッパライ」(1967年)で
テープを早回しした歌声を使ったり
コミカルな歌詞で聴く人を驚かせたり
実験的な試みをしてきたグループなので
一筋縄ではいかない、フォーク界では
異色の存在と言えますね
歌詞は表面的には反戦歌に思えるけれども
歌詞の方に目をやると
「戦火にやけたマリヤの像に」
というフレーズがあるため
戦場で戦う兵士のことを歌っている
反戦歌のようにも見えます
しかし
「何のために 何を夢見て
歯を食いしばり 働いて死ぬのか」
というフレーズを見ると
戦場で戦うことを「働く」と
表現していることが引っ掛かります
私なりの勝手な解釈ですが
会社や職場を戦場に例えているのでは?
と思えてなりません
企業戦士という言葉もあるくらいですから
(最近は聞かない言葉ですね)
私たち日本人は長時間労働がまかり通る
過酷な社会を生きていますからね
過労死が問題視されたのは
80年代からだそうですが
過労死はそれ以前にもあったそうです
そのことを考えると
北山修さんが長く働くことを美徳とする
日本社会に反戦歌の形をとって
疑問を投げかけたのではないか
と思えてくるのです
さらに
「何のために 何を求めて
傷つきつかれ 年老いて死ぬのか」
というフレーズからは
年老いてからも働かざるを得ない
現代社会にピッタリくる感じがします
北山修さんがどのような意図で
この歌詞を書かれたのかはわかりませんが
1960年代という時代を感じさせる言葉が
入っていないのでいつの時代にも通じる
普遍的な歌になっていると思います
年金をもらいながらも働く日本を外国はどう見ている?
さて年金受給者であっても働かざるを得ない
現代の日本を海外はどう見ているのでしょうか
日本の「死ぬまで働かざるを得ない」現状を
NYタイムズが注目して報道したそうです
アメリカでは考えられないことなのでしょう
フランスも同様のようです
フランスでは年金支給額を上げると
政府が方針を打ち出したら
反対デモが起こりました
しかし日本ではそのようなことは起こらず
何も言わずに黙って現状を受け入れ
歯を食いしばって生きています
負担増が見返りや社会への還元が実感できない
現在は物価高なのになかなか給料は上がらず
増税などで負担だけが増していき
普段収めている年金や税金が
自分に見返りとして返ってくるのか疑問ですし
社会にきちんと還元されているという
実感が持てないために苦しい思いを抱くのでしょう
そんな過酷な時代を生きるいまの日本人の心に
フォークルの「何のために」は
響くのではないでしょうか