先輩フォーク系アーティストとは違う道を歩んだ拓郎さん
第一弾からの続きです
「結婚しようよ」(1972年)の大ヒットで
フォークを大衆の音楽へと発展させた拓郎さんは
フォークの垣根を超えた取り組みを始めて
さらなる高みへと駆けあがっていきました
ほかの歌手への楽曲提供で新境地を開拓
その取り組みとはほかの歌手への楽曲提供です
しかもその歌手がフォーク系ではないのです!
梓みちよに「メランコリー」(1976年)
演歌歌手の森進一さんに「襟裳岬」(1974年)を
提供しました
若い方の間で大人気のロックバンド
Takaさんのお父様の森進一さんですよ!
第1弾の記事で「若い方に読んで欲しい」と
私が書いたのはこのように
拓郎さんは森進一さんに縁があるから
というのもあるのです(笑)
ONE OK ROCKの大人気ぶりで
若い方の間で特に知名度の高い昭和の歌手は
森進一さん&森昌子さん夫妻なんですって
まぁそれはともかく
フォーク系の歌手が演歌歌手に楽曲提供するとは
当時としては画期的なことでした
拓郎さんは当時雑誌で
と発言されたそうですがその言葉通りに
同年のレコード大賞を受賞する快挙を成し遂げました!
(「襟裳岬」レコ大受賞を伝える記事。雑誌「ヤング」1975年2月号より)
いくら偶然とはいえこれはできすぎですね(笑)
それ以降もGSのザ・スパイダースに在籍していた
かまやつひろしさんに「我が良き友よ」(1975年)
を提供し、オリコン1位を獲得する大ヒットを記録!
そして1977年にはアイドルグループ
キャンディーズに「やさしい悪魔」を提供
1978年にはこれまたアイドル歌手の石野真子に
「狼なんか怖くない」と立て続けに
アイドル系アーティストにまで作曲を手掛けます
歌謡曲系、ポップス系から演歌、アイドルまで
実にさまざまなアーティストへ楽曲提供して
しかも大成功させて「フォーク」という枠組みを
ひょいと軽々と飛び越えて見せました
すごいですよね
(キャンディーズ「やさしい悪魔」のレコードジャケット
B面の「あなたのイエスタデイ」も拓郎さんが手掛けています)
あの筒美京平さんが拓郎さんに脅威を抱いた!
こうした拓郎さんの活躍に脅威を抱いた
大物作曲家が当時いました
「井上陽水的な音楽には
特に何も思わなかったのですが
吉田拓郎さんには怖さを感じました」
と筒美京平さんが後年語っているのを
亡くなられたときの追悼番組で見ました
筒美さんの言う怖さとは
自作自演であるシンガーソングライターが
ほかのアーティストヘ楽曲提供することで
筒美さんのような専属作曲家は
仕事を奪われてしまうのではないか?
という不安です
筒美さんが脅威を感じたのもよく分かります
ここまで挙げてきた楽曲を聴き比べると
拓郎さんらしさが出ているのは
かまやつひろしさんの曲くらいで
あとはそれぞれの歌い手さんに合わせて
実にうまく楽曲を書き分けていますよね
拓郎さんの色をきれいに隠しています
でも一方の拓郎さんも作曲家さんのなかでは
筒美京平さんにだけは尊敬の気持ちを抱いていたそうです
それは筒美さんの場合はアレンジまで手掛けて
そのアレンジがうまいからだそうです
例えばこの曲などは分かりやすい例でしょうか
イントロを聴いてすぐに
「あっ、「また逢う日まで」だな」と
分かるあまりに印象的なフレーズ
このような曲作りやアレンジができるのは
本当にすごいと思います
拓郎さんと筒美さんがお会いしていたかどうかは
分からないのですが
双方で実力を認めていたとは
すごい人にはすごい人が分かるのですね
お二人とも素晴らしい才能の持ち主です
というところで
第2弾はこの辺りで終わりにしますが
拓郎さんのシリーズ記事も
ここで小休止します
しばらくどうしてもこの時期に
書いておきたい記事があるのです
もう書きたいことがありすぎて
困ってしまいます(笑)
第3弾までにしばらく別の記事を書きますが
必ず書きます
拓郎さんの偉大さはまだまだありますから!
第3弾へと続く
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