- もうすぐ裕次郎さんの命日
- 裕次郎さんの映画史上の偉大さ
- ➀戦後の日活の発展に大きく寄与
- 裕次郎さんの映画史上の偉大さ
- ②新しい個性で映画界を席巻
- "太陽族映画"は日本のヌーヴェル・ヴァーグ?
- 裕次郎さんの映画史上の偉大さ
- ③石原プロ設立で五社協定に斬り込んだ!
もうすぐ裕次郎さんの命日
もうすぐ昭和を代表する大スター
石原裕次郎さんの命日です
ということで今回は石原裕次郎さん
のことを取り上げます
裕次郎さんも昭和の芸能人のなかで
あまりにも大きな存在なので
どういった部分から書いていくべきか
少し迷いましたが
どこがすごいのかわからない
という方にすごさを伝えるには
「日本映画史上で重要な存在だ」
というところから書けば映画ファンの方に
とりわけ若い方に伝わるかな?と思いまして
映画史上での位置付けから書いていきます
また裕次郎さんの命日は
これまた昭和の大人気スター
市川雷蔵さんの命日でもあるのです!
昨年亡くなられた映画評論家の佐藤忠男さんが以前
両者について語ると「あそこの部分が違う!」といった
細かい指摘を受けるので
なるべく語らないようにしている(笑)と
仰っていたので私も少々ビクビクしています…
(書いちゃって大丈夫かな?
私も一応ファンの端くれなのですが
もちろん後追いですが)
裕次郎さんの映画史上の偉大さ
➀戦後の日活の発展に大きく寄与
裕次郎さんの映画史上の偉大さはまず
戦前にもあって戦争中に一度製作を中止して
戦後再び製作を再開した日本最古の映画会社
日活という映画会社の発展に
大きく寄与したことです
裕次郎さんが入社する前の日活は
どんなにいいキャストを集めて
いい作品を作って公開しようとしても
公開日には他社が揃ってそれぞれの抱える
スター俳優や人気歌手が出演する
映画を作って対抗し
日活映画に人々が行かないようにさせる
”日活つぶし”というのが行われて
ことごとく苦しい状況に遭いました
有馬稲子さんが結成した「にんじんくらぶ」
の努力により
映画会社各社の専属俳優の他社出演も
少しずつ認められてきたものの
人気俳優を「日活だけには貸さない」
といったイジメのようなことも行われました
"日活つぶし"で観客動員が振るわず
日活では専属俳優の給料の遅配
という事態も起こりました
そんな日活の苦しい状況を打開したのが
裕次郎さんの入社だったのです
それまでの俳優さんにはない
新鮮で強烈な個性で一気に観客を魅了し
裕次郎さんの映画はことごとく大ヒット
他社による"日活つぶし"は通用しなくなったのです
「嵐を呼ぶ男」(1957年)
「夜の牙」(1958年)は特に大ヒットし
以降日活は月1本のペースで
裕次郎さんの映画を公開し
他社には動揺が走ったそうです
(宍戸錠著『シシド 小説・日活撮影所』を参照)
どれほど当時の人々が
裕次郎さんの映画に熱狂していたか
以下の年間興行収入ランキングを
見ていただければ一目瞭然です
1957年の「嵐を呼ぶ男」は年間3位の大ヒットで
翌1958年は何と「陽のあたる坂道」「紅の翼」
「明日は明日の風が吹く」「風速40米」と
トップ10中4本の裕次郎映画がランクインしています
とてつもない人気ぶりですよね
以下は視覚的に当時の裕次郎さん人気を
物語る写真です
多くの人が裕次郎さんの映画見たさに
日活の映画館に詰めかけています
(毎日新聞社『昭和日本映画史』より)
裕次郎さんの映画史上の偉大さ
②新しい個性で映画界を席巻
前述の「それまでの俳優さんにはない」
という裕次郎さんの個性ですが
それまでの俳優さんは
メロドラマが大人気だった時代には
真面目で誠実なソフトな2枚目がスターで
女性のために尽くすけれども
あまりピストルを持って乗り込んでいく
そんなタイプではありませんでした
時代劇の分野では長谷川一夫さんは
日本一の二枚目と言われましたが
子どもも見るためラブシーンはできず
その他の版妻や大河内傅次郎さんも
黒澤映画の三船敏郎さんも
ラブシーンをやりませんでした
勝新太郎さんも同じです
ところが裕次郎さんはアクションもので
力づくで女性を獲得するという
日本映画では初めてのタイプの俳優さんだったのです
実力で女性を惹き付けるという
そんなヒーローでした
つまり裕次郎さん以前は
ラブシーンをやる俳優さんと
戦うヒーロータイプの俳優さんは
それぞれ役割分担されていたのが
裕次郎さんはその両方をこなしてしまう
日本映画では初めての俳優さんだったのです
でもここまで書いてきたことは
2012年のある日私の住む地域の近くで
もとにしています
佐藤さん、なるべく語らないと言いつつも
少しは語っていたんです(笑)
"太陽族映画"は日本のヌーヴェル・ヴァーグ?
あとはよく言われることですが
石原慎太郎さん原作小説の映画
太陽族映画に主演して
太陽族の若者を象徴するスターだった
ということもありますね
私はこの太陽族映画こそ
日本映画の新しい波「ヌーヴェル・ヴァーグ」
ではないかと勝手に思っています
昭和の日本人の貧しくも慎ましい暮らしを切り取った
それまでの日本映画にはない
お金持ちでいい家に住み
夏はヨット遊びや女性との情事に耽る
新しい日本の若者の享楽的な姿が活写されており
日本映画よりも同時代の外国映画のような
そんな雰囲気に満ちているのです
「狂った果実」はフランスの本家の
ヌーヴェル・ヴァーグの監督である
フランソワ・トリュフォーが絶賛したほどですし
日本映画には大島渚監督などによる
「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」という言葉が
ありますがあれはあくまでも松竹での新しい映画で
日本映画全体を見渡せば
太陽族映画こそが新しい日本映画の始まり
だったのではないかと思っています
裕次郎さんの映画史上の偉大さ
③石原プロ設立で五社協定に斬り込んだ!
また裕次郎さんは当時の日本映画にあった
俳優さんの映画会社への専属制
つまり松竹の俳優さんなら基本的には
松竹の映画にしか出られないという
「五社協定」に反旗を翻した俳優さんでもあると
私は思っています
そのきっかけは石原プロの設立です
石原プロから様々な映画や
TVドラマが製作されましたが
なかでも裕次郎さんにとっては
共同で製作された「黒部の太陽」(1968年)は
製作の過程でさまざまな横やりが入り
公開にこぎつけるまでさまざまな苦労がありました
五社協定で難航したキャスティングでは
裕次郎さんは映画会社の専属ではない
宇野重吉さんなど演劇界の俳優さんに
積極的に声をかけて出演者を集め
さらには三船さんの妻を演じた高峰三枝子さんは
裕次郎さんの大ファンということから
ノーギャラでの出演を快諾
製作費はTVCM出演などのギャラも次ぎ込み
何とか完成までこぎつけて
公開するや否や劇場では長蛇の列ができ
700万人を超える観客動員を記録
大ヒットとなりました
見事に裕次郎さんの勝利
裕次郎さんはいまに至るまでの日本映画の礎を築いた
そんな映画人の一人でもあるのです
というわけで映画本の力を借りつつ
私見も取り入れながら
裕次郎さんの映画史における重要さを
書いてきたわけですが
古い映画を見る熱心なファン?マニア?
の方や裕次郎さんのファンの方にとっては
どれもご存知のことで
ファンの方には申し訳ないのですが
若い世代にも裕次郎さんのすごさを!
という思いで一生懸命書いた次第です
どうかご勘弁を