- 今年はTV放送開始から70年の節目!
- 草創期はバカにされた娯楽だった
- 女優の渡辺美佐子さんが語る草創期
- 追いつけ追い越せは現実のものに
- 「日本映画はつまらない」と言われ始める
- 映画スターが次々とTV界に進出!
- 昭和のTVドラマは娯楽あり重厚な人間ドラマあり
- 歌番組は生演奏が当たり前!
- 平成に入るとTV局主導の映画がヒット
- ネットの発達とともにTVは衰退期へ
- TVのいいところと悪いところ
今年はTV放送開始から70年の節目!
ジャーン!
いきなり画像からです
こちらは1979年の東芝のTVの宣伝です
俳優の故・山村聡さんが起用されています
山村聡さんをご存知の方はどれくらい
いらっしゃいますかねぇ…
しかし当時のTVの値段は高いですね
19万8000円とはいまの貨幣価値で言うと
どのくらいなのでしょう
ところでTVの宣伝画像を持ってきたのは
今年の2月1日でNHKがテレビ放送を
開始してから70年が経ったからです
先日TV70周年の特番を見ましたが
昭和好きとしてはなかなか興味深かったです
ということで今回は昭和のTV界や映画界
現在のTV界のことなどについて
書いていきたいと思います
草創期はバカにされた娯楽だった
草創期のTV界は当時隆盛を誇っていた
映画界から「電気紙芝居」とバカにされたり
評論家の大宅壮一さんが
「一億総白〇化現象」が起こる
などと仰っていたみたいです
何しろ70年前の1953年はあの大ヒット映画
「君の名は」(※大庭秀雄監督の作品です
アニメ映画とは異なります)が3部作で
延べ4000万人を動員するほど
娯楽の王様は映画でしたから
そこへ新たに入り込もうというのは
相当な苦労があったはずです
女優の渡辺美佐子さんが語る草創期
俳優座の女優として舞台で活躍し
また数多くの日活映画に出演された
女優の渡辺美佐子さんによれば
生放送の時代は怖かった
石井ふく子さんプロデュースの「橋づくし」
(1958年)に出たとき、もう緊張しちゃって
そしたら共演する山田五十鈴さんも
手をにぎって震えていらっしゃった
「こんなベテランの方でもあがるんだから」と
逆に落ち着きました
当時のテレビは「電気紙芝居」と
ちょっとバカにされていて、そのぶん
テレビの人たちは、映画に追いつけ
追い越せの気迫に満ちていました
と語っています
(雑誌「キネマ旬報」2022年3月号の
渡辺さんのインタビューより)
当時は収録という手段がなく
TVドラマですら生放送で
映画よりも舞台に近いものだったのです
ハプニングが起きたら慌てて別の方向を
映したりそのままハプニングが放送されたり
といったことがあったようです
追いつけ追い越せは現実のものに
そのTV界の人たちの気迫は
現実のものとなっていきました
映画の観客動員は1958年をピークに
徐々に下り坂をたどっていきます
その要因はほかでもないTVの普及です
まさに「驕れるもの久しからず」ですね
昔の人はうまいことを言いますね
「日本映画はつまらない」と言われ始める
こうして人々の娯楽の中心は映画から
TVへと移っていき、1971年には
映画会社・大映が倒産
同年日活も会社の規模を縮小
低予算のロマンポルノ路線へ移行します
東映も1970年代に入るとTVでは
放送しにくいバイオレンス要素の強い
実録やくざ路線に活路を見出します
日活と東映の路線変更はTVとの差別化を図り
観客を呼ぼうという会社の戦略です
しかし1971年から「日本映画はつまらない」
「洋画の方が面白い」と言われ始め
1975年にはついに洋画が邦画よりも
観客動員や興行収入で上回ります
洋画優勢の時代は2005年まで30年間続きます
映画スターが次々とTV界に進出!
それぞれの意見を会社に訴えたために
どの映画会社にも起用されなくなり
干されてしまいました
そんなとき田宮さんやお富士さんに
救いの手を差し伸べたのがTV界でした
立ち上げてTVで「座頭市」を製作します
日活の石原裕次郎さんや渡哲也さんも
「石原プロ」でTVドラマを製作
こんな大スターたちに進出されては
映画界としては大ダメージです
昭和のTVドラマは娯楽あり重厚な人間ドラマあり
昭和のTVドラマはそれぞれ個性的で
いま見ても見ごたえのある作品が多いです
庶民の生活を描いたホームドラマや
「寺内貫太郎一家」(1974年)など
ホームドラマとバラエティ番組を
融合したような娯楽作品もあるかと思えば
「阿修羅のごとく」(1979~80年)のような
毒のある内容のドラマや映画に負けない重厚な
女性の一代記「おしん」(1983~84年)など
こんな内容のドラマがお茶の間で流れていたのか!
と昭和を知らない私などは驚かされるばかりです
歌番組は生演奏が当たり前!
歌番組は「ザ・ベストテン」(TBS)や
「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)
たくさんありどれも生演奏でした
そのためレコード音源とは違う
TVでしか聴けないバージョンの
歌と演奏が聴けたのです
平成に入るとTV局主導の映画がヒット
平成に入ると邦画は大ヒットTVドラマを
TV局主導で製作して観客を集めます
「踊る大捜査線」(1998年)などが典型例でしょう
つまりTV界の方が立場が上になったようなものです
「電気紙芝居」とバカにされていた草創期に
そんな未来をだれが予測していたでしょうか
ネットの発達とともにTVは衰退期へ
しかしTV界もネットの発達により
娯楽が多様化して視聴率が低迷していることは
みなさんご存知で説明不要ですよね
TVのいいところと悪いところ
TV界も平成あたりからでしょうか
昔の映画界のような「驕り」が
見られるようになり
一部の芸能人はTV界から
干されたりしていますよね
これでは昭和の田宮二郎さんや
山本富士子さんを干した映画界と
同じことをしていることになりますね
これもまた「驕れるものは久しからず」ですね
TV界も落ちたものです
TV界のいいところはとりわけNHKさんが
災害情報をいち早く伝えてくれるところ
でしょうか
先日の石川県の地震もすぐに報じていました
ネットだとデマが飛び交う可能性がありますが
TVの情報なら安心できます
これからのTV界にお願いしたいこと
現在のTV界に昭和好きとして
お願いしたいことは
三船敏郎さんの記事でも書きましたが
TV界や映画界で活躍された過去の芸能人に
対する敬意を持っていただきたいです
先達の努力や活躍があって今がある
そのことを知ってもらいたいです
ほかにも願いはありますが
昭和芸能のブログとしての願いは
これくらいでしょうか
それでは最後にTVを題材にした歌
RCサクセションの「ミスター・TVプロデューサー」を
聴いていただいてお別れとします
1980年発売のアルバム「PLEASE」収録曲で
作詞・作曲は忌野清志郎さんです
TVとロックへの愛とTVへの皮肉も入り交っている?
そんな感じの曲です