昭和寅次郎の昭和レトロブログ

昭和を知らない世代による昭和レトロ、昭和芸能のブログです!

昭和女優ファイル東宝編①原節子(戦前編)~戦前の原さんと作品の魅力~

 

さて前編のプロフィールを踏まえて

戦前の原さんの魅力や好きな作品を

さっそく書いていきたいと思います

 

戦前の原節子さんの魅力

 

戦前の原節子さんは若干15歳で

女優さんとしてデビューを果たした訳ですが

もうその美少女っぷりがすごいです

しかもただの美少女ではなくて

すごく大人びているのです

日独合作映画「新しき土」の頃には

よく知られている小津作品のあの原さんの

お顔がすでにほぼ完成されています

 

(「新しき土」より。当時16歳ですがすごい美少女ですね!)

 

でもお声は高くて細い

まだあどけなさが残っていて

まだ女学生の年齢だなぁと感じます

 

しかし映画スターに必要な要素「華」を

最初からしっかりとお持ちだったと思います

 

とりわけ目を引く西洋風の顔立ち

 

長い日本映画の歴史のなかで

原さんほど日本人離れした風貌の女優さんは

なかなか見当たらないでしょう

 

原さんに限らずですが

映画が白黒しかなかった時代の俳優さんは

彫りの深いお顔立ちをされている方が

多かったと思います

マツコさんも昭和の俳優さんは

バタ臭い顔が多かったわよねなんて

以前仰っていました

 

これは白黒映画時代特有のものではないか?

と私は思っています

 

白黒映画は光と影の芸術なので

照明がお顔に照らされたとき

凹凸のある方が陰影がついて

よりスクリーン映えしたのでは?

と思っています

 

帰国後のバッシングと「生意気な大根女優」呼ばわり

 

伝説の大女優として認識されているいまでは

考えられないことですが

欧州~アメリカ旅行からの帰国後は

海外での体験から感じて語った

「日本人でも映画人をもっと

真面目な目で見ていただきたい」

といったちょっとした発言が

「西洋かぶれ」「生意気」とバッシングに晒されます

 

さらに水着撮影拒否などの行動も

こうした世間の反発に拍車を駆けます

 

まだ駆け出しの女優だったにも関わらず

初めての海外との合作映画出演と洋行帰りで

観客は原さんを大女優と勘違いしたのか

帰国後の公開映画がことごとく不評で

「国際派女優ってこんなものか」「大根」と

演技面でも叩かれるようになり

女優を辞めたいと思うほどまでに

精神的に追い詰められたそうです

 

戦前の作品はフィルムが紛失した作品が多く

どのあたりの作品や演技が叩かれる要因となったのか

私は知ることができていませんが

心ない言葉を浴びせるのはいまのSNS時代だけでなく

昔から変わらないのですね

 

こうした誹謗中傷問題については

これからしっかりと考えて

是正しなくてはいけない問題ですね

 

戦前で好きな作品/見どころのある作品

➀田口哲監督「魂を投げろ」(1935年)

 

原節子さんに限らず戦前の日本映画は

フィルムが紛失していて

見ることのできない作品がたくさんあるのですが

原さんの場合はデビュー作が紛失しており

この「魂を投げろ」が現存する最古の

原さん映画のフィルムなので

これは貴重ですよね

とはいっても部分的に残っているだけで

全編は見られないのですが…

 

 

(「魂を投げろ」より)

 

内田吐夢監督「生命の冠」(1936年)

 

この映画の原さんは端役ではありますが

見所のある力作だと思います

 

まずは北方領土の千島列島でロケされた点が

資料価値としての魅力があります

現在ではロケが不可能ですからね

 

北海道の室蘭ではこの映画の写真展が

開催されたほどこの映画を製作したことが

非常に意義のあることとなったのです

 

www.nemuro.pref.hokkaido.lg.jp

 

映画の内容はネタバレ防止のため

あえて触れないでおきますが

企業倫理について考えさせられるお話で

今日でも通用する内容になっています

 

さらに戦前の原さんの映画はDVDや配信にない

作品が多いなか「生命の冠」はDVDが出ているのです!

サイレント作品ですが活弁付きで!

名弁士・澤登翠さんの語り口を味わえます

 

弁士の方のサイレント映画上映会は

主に東京の名画座やミニシアターでしか

味わうことができませんが

私のような田舎者でも弁士付きで

サイレント映画を楽しめるのは非常にありがたいです

 

山本薩夫監督「母の曲」(1937年)

 

この映画に関しては特に期待感もなく

原さんの映画だからということで見ましたが

原さんの出番は多いですし

良家の女学生という役どころが

お嬢さん役が似合う上品な原さんにピッタリなのです

 

映画の内容も格差社会を感じさせる所があり

現代を生きる私たちにとって

考えさせられますし

社会派監督として活躍された山本監督の

「らしさ」も垣間見えるのも注目どころです

 

(「母の曲」より)

 

「新しき土」と「河内山宗俊」は言わずもがな

 

「新しき土」は前編のプロフィールで

たくさん記述があるくらいですし

河内山宗俊」についても山仲貞雄監督作品ですから

ここであえて言及するまでもないくらい

原節子さんのキャリアという面でも

日本映画史という観点から見ても

とても大切な作品だと思います

 

(「河内山宗俊」より)

 

 

ちなみに 山中監督は撮影現場で

やっぱりええ。ええ子や。

今にあの子は日本でも指折りのスターになりよる

と原さんのことを語っていたそうです

その予言通りの大スターになりましたね

 

そして山中監督は大親友だった小津安二郎監督にも

原さんのことを話して聞かせていたかもしれないですね

それが戦後の「晩春」(1949年)からの起用に

つながったのでは?と考えられずにはいられません

 

というところで次は「戦中編」として

戦意高揚映画に駆り出された時代の

原さんに迫っていきたいと思います

 

投稿時期は戦争のことがメディアで振り替えられる

夏ごろがいいかな~なんて考えています

 

参照:

石井妙子著『原節子の真実』です

 

 

 

 

 

 

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