昭和寅次郎の昭和レトロブログ

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昭和女優ファイル東宝編②高峰秀子(戦後編②)~結婚・演技賞の受賞ラッシュで公私ともに充実~

 

前回からの続きです

 

shouwatorajirou.com

 

 

今回は高峰さんがパリに渡ったエピソードや

脚本家・映画監督の松山善三さんとの結婚

二十四の瞳」や「浮雲」など

高峰さんの作品のなかでとりわけ有名な

映画に出演した時期に迫ります

 

高峰秀子プロフィール(続き)

 

(フランスから持ち帰ったフランス人形を抱いて)

 

留学生として渡仏

 

1951年6月、高峰秀子はパリへ出発した

新外映社長・鈴木とフランスの「ル・モンド」祇

日本特派員ロベール・ギランにカンヌ映画祭

出席を誘われ、映画祭出席は嫌だが

留学生として渡仏させてくれるならと

申し出て承諾され、そのころ険悪化していた

養母との間柄や、フリーになっての不安など

身辺の整理をする意味での日本脱出で

パリでは下宿住まいをし、孤独を感じながらも

映画映画を忘れて自由を楽しみ、6か月後の

12月にアメリカ経由で帰国した

 

帰国後に出演した「稲妻」が評判となる

 

帰国第1作は当時スタジオ当時スタジオ8プロを

主催していた五所平之助監督が新東宝

提携して撮った「朝の波紋」(1952年)で

池部良を相手役に、戦争未亡人の子どもを

引き取って育てている貿易会社の敏腕秘書を

女らしい情感をにじませて好演

新たなる期待を抱かせた

 

彼女のパリ帰りを待ちかねたように

次々と主演作品がまわってきて

終戦直後以来、久々に成瀬巳喜男監督にも

起用され、「稲妻」(1952年)に主演

林芙美子・原作の下町人情物で

秀子は母は同じだが、それぞれ父の違う

四人兄妹の末娘・清子に扮して

自分勝手な長姉、夫が死んで妾がいたと

判るような次姉、さらには無能な兄

図々しく言い寄ってくる中年男などの

なかにあって、ひとり環境に押し流されまいと

努力する観光バスのガイド嬢を巧演

 

(映画「稲妻」より)

 

この映画はブルー・リボン賞のベスト・テン1位

キネマ旬報」ベスト・テン2位に選ばれ

成瀬芸術の極致とまで言われ

演技派女優として彼女の名を高めた

 

次いで木下恵介監督「カルメン純情す」で

客席に恋しい人、実は女たらしのいんちき

画家を見出して裸になれずストリップ劇場を

クビになるカルメンを演じて好調を続け

以後、彼女はこの木下恵介成瀬巳喜男

作品を中心に50年代から60年代初めの

日本映画の名作に数々主演、大女優として

押しも押されぬ存在となっていく

 

五所平之助監督「煙突の見える場所」で

上原謙田中絹代の一家に下宿する

隣室同士の芥川比呂志の人の好い

税務署員につれなくする残酷なくらい

冷静な性格の娘だが捨て子騒動で

女らしさをあらわす街頭放送の

アナウンス嬢という面白い役をやる

 

再び芥川比呂志と組んで

豊田四郎監督による森鷗外の名作「雁」

(1953年)で医学生に報われぬ想いを

寄せる高利貸しの妾お玉を演じた

 

1954年には木下恵介監督による2度目の

起用となる「女の園」では良妻賢母型の

徹底教育を謳い学生の自由を束縛する

女子大の寄宿生に扮し、学生たちの

反抗運動に際し恋人を持つ弱みを大学側に

利用されて切り崩し工作の罠にはめられて

学生たちの反感に追い詰められ自殺する

悲劇のヒロインをひたむきな姿で演じ切り

その豊かな情感によって観客の深い共感を

呼び、演技者としての優れた資質を

改めて実証した

 

代表作「二十四の瞳」に出演

 

この時期、木下は絶好調にあり、続いて

彼女を主演に「二十四の瞳」(1954年)を

撮るが、これは両者にとって大金字塔となる

 

(映画「二十四の瞳」より)

 

壺井栄のベストセラー小説の映画化で

瀬戸内海の小豆島を舞台に、小学校の分校の

女教師と12人の教え子の師弟愛をロケ効果を

存分に取り入れて描いた抒情篇だが

それだけにとどまらず、軍国主義とそれに続く

戦争という受難の時代のなかで教え子の大半が

命を失い、女教師も夫や息子を奪われながら

なおかつ美しい心の触れ合いが貫かれる

という物語で大きな感動を呼び、興行的に

大当たりを取るとともに、芸術祭賞

キネマ旬報」とブルー・リボン賞ベスト・ワン

毎日映画コンクール日本映画賞を受賞

 

女教師・大石久子に扮して19歳から

46歳までを演じた秀子は「女の園」と

木下門下の小林正樹監督の

「この広い空のどこかに」(1954年)での

戦災で足が不自由になり、婚期を逸した

娘の演技も含めて毎日映画コンクール

ブルー・リボン女優主演賞の対象となり

晴れの栄冠を手にした

 

(映画「この広い空のどこかに」より)

 

日本映画を代表する名作「浮雲」で更なる高みへ

 

続いて主演した成瀬巳喜男監督「浮雲

(1955年)は彼女のトップ女優としての

地位を決定づける記念碑的作品となった

 

浮雲」は戦争中、農林省タイピスト

として仏領インドシナに渡った幸田ゆき子

という女が主人公で、富岡兼吉という

農林省の技師と愛し合うが終戦で別々に帰国

妻と別れて結婚するという男の言葉を

信じて男を訪ねるが相手は煮え切らず

途方に暮れて進駐軍相手の売春婦や

新興宗教の教祖の情婦になってかろうじて

生きながらも男への愛を断ち切れず

くされ縁に結ばれて男とともに止めどなく

落ちてゆくという物語で、秀子は

不実の男に引っ掛かり、業に縛られて

抜け出すことのできない女のみじめさを

淡々と、しかし卓越した演技で見せ

共演の森雅之の優れた演技に絶妙に

嚙み合って素晴らしい成果を上げた

 

(映画「浮雲」より)

 

脚本家・映画監督の松山善三と結婚

 

これが封切られた40日後の1955年2月

彼女は木下恵介監督の助監督

松山善三との婚約を発表

 

二十四の瞳」の小豆島ロケの際

松山は木下を通じて交際を申し込み

その素直で誠実な人柄に魅かれて

結婚を決意

 

同年3月、東京・三宅坂のチャペル

センターで木下と川口松太郎三益愛子

夫妻を媒酌人に挙式、銀座のレストラン

メイゾン・シドで披露宴を催した

 

(晴れの結婚式にて)

 

結婚後の初仕事は東宝久松静児監督

「渡り鳥いつ帰る」で、私娼窟・鳩の街の

女の1人で恋愛と称して客の選り好みをしたり

死んだ仲間の持ち物を持ち逃げしたりする

アプレ娘を好演

 

次いで結婚後、脚本家として出発した松山善三

木下と共同で書いたオリジナル・シナリオを

木下が監督した「遠い雲」(1955年)に主演

 

飛騨の高山にロケした美しく厳しい恋愛映画の

佳作で、彼女は1人娘を抱える旧家の

未亡人に扮し、初恋の男(田村高廣)との

再会に恋の炎を燃やし続けるが、家と土地を

捨てる決心つかずに激しく揺れ動く女心を

繊細に演じて女優として一層の安定感を見せた

 

浮雲」で演技賞を多数受賞

 

そして1955年末から56年はじめの受賞

シーズンには浮雲」が「キネマ旬報

ベスト・ワンをはじめ毎日映画コンクール

日本映画賞、ブルー・リボン作品賞を独占

彼女も第1回キネマ旬報賞の女優賞

毎日映画コンクール女優主演賞を受賞

押しも押されぬ日本映画界の代表的女優となり

以後も成瀬、木下両監督の作品を中心に

また60年代に入っては監督にも進出した

松山善三とのコンビで、日本映画女優史に

見事な軌跡を描き続ける

続編に続く

 

参照:

キネマ旬報社『日本映画俳優全集・女優編』