昭和寅次郎の昭和レトロブログ

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昭和女優ファイル東宝編②高峰秀子(戦後編➀)~新東宝で大人の女優となってフリーへ~

 

前回記事からの続きです

 

shouwatorajirou.com

 

3回目となる今回は高峰さんが

少女スターから大人の女優へ変貌をとげ

フリーとなるまでのキャリアに迫ります

 

高峰秀子プロフィール(続き)

 



戦後は早々東宝争議に巻き込まれる

 

戦後の出演第一作は1946年の

「陽気な女」(佐伯清監督)で

暗い世相にもめげず明るさを失わず

灰田勝彦扮する無気力な青年に

奮起を促す大会社の秘書を主演

 

次いでフランク・キャプラの名作

スミス都へ行く」(1939年)と

「群衆」(1940年)を翻案した

成瀬巳喜男監督の「浦島太郎の後裔」

(1946年)に藤田進と共演で復員兵を

国会議事堂の頂上に上らせて特ダネ記事を

ものにする新聞記者を演じたが

いずれも話題に上らず、このあと

阿部豊監督の「破戒」(島崎藤村・原作)で

池部良の丑松の相手役お志保を演じることに

なり長野県ロケに行くが1946年3月の東宝

第一次ストライキのために製作中止となる

 

(映画「浦島太郎の後裔」より)

 

東宝を脱退して新東宝の専属女優となる

 

同年8月に戦後初の豪華ショーとなった

「ハワイに花」に灰田勝彦と共演して

フラダンスを踊り大ヒットさせるが

御本家の東宝は第二次ストに突入

彼女は左翼主導下のストに反対する

大河内傅次郎に同調、長谷川一夫

黒川弥太郎、藤田進、入江たか子

山田五十鈴、花井蘭子、山根寿子

原節子とともに10人の旗の会を

結成して日映演傘下の東宝従業員組合を脱退

 

続いて脱退した渡辺邦男監督以下

457名とともに第3組合を結成

第1組合に撮影所入りを拒否されたため

東宝第2、第3撮影所を使用して

第2製作部を組織、これが1947年

東宝映画製作所の名称で

別会社として新発足するにおよび

彼女も同社専属となる

 

第1回出演は大河内、長谷川、黒川が

顔を揃えた新東宝お披露目時代劇

「大江戸の鬼」で、続いて阿部豊監督

「愛よ星と共に」に池部良を相手役に

主演したが、これまでの少女役から

一足飛びに牧場主の息子との間に

愛の結晶を宿して昔気質の牧夫頭の

父に家を追い出され、女給となって

産んだ子どもにも死なれ、殺人まで

犯す運命の女の役で16歳から

35歳までの女の半生を演じた

 

次の千葉泰樹監督の佳作「幸福への招待」

(1947年)でも大河内傅次郎扮する元・

女学校校長の教え子で子持ちの戦争未亡人

でありながら妊娠したため世間への

思惑から自殺する薄幸の女を演じ

大人の女優としてのイメージを印象付けた

 

東宝は創立1周年を経たぬうちに

山田五十鈴原節子が1本も出演せずに脱退

続いて入江たか子も退社したことから

秀子は新東宝で監督に昇進した市川崑

「花ひらく」に主演、同じく市川崑

メロドラマ「三百六十五夜」前後編(1948年)

上原謙と共演の山根寿子の恋敵を演じ

パニョルの『マリウス』を翻案しyた

山本嘉次郎監督の「春の戯れ」では

マリウス役の宇野重吉と組んで

幼馴染の恋人の子を宿したまま

海にひかれる男を諦め、商家の旦那に

嫁ぐファニー役お花を好演

大人の女優として太鼓判を押される

 

ついで島耕二監督で3本に主演

最初の「グッドバイ」は太宰治

朝日新聞」連載小説の映画化で

連載当初から企画されたが1948年に

太宰が情死したため13回で終了

美男でドンファンの雑誌編集長が

社長から金主の令嬢との結婚を

迫られ関係する多数の女と

手を切るため紙を売り込みにくる

美人の問屋を疎開先から引き揚げて

きた女房に仕立てて女たちを歴訪する

という話の発端しかなかったが

ドラマ巧者の小国英雄が巧みに話を

作りあげ、スマートな風俗喜劇の

佳作となり、秀子は編集長役の

森雅之と軽妙なコンビを組んで

美人問屋、、実は彼にゾッコンの

令嬢を秀逸に演じ、演技に幅を広げた

 

(映画「グッドバイ」より。右が森雅之

 

次の「銀座カンカン娘」(1949年)は

灰田勝彦笠置シヅ子と共演の音楽喜劇で

秀子は同名主題歌をビクターで吹き込み

大ヒットしてレコード界に旋風を

巻き起こしたが、レコード歌手としての

彼女はこれに始まったわけではなく

戦争中の1942年、大東亜レコードから

「森の水車」を発売

 

(映画「銀座カンカン娘」より)

 

ただしこれは軽快なリズムが米英調だと

発禁処分にされ流行しないまま戦後

荒井恵子NHK素人のど自慢大会で

歌い歌手としてデビュー

荒井の持ち歌としてヒットした

 

3本目の「処女宝」(1950年)では

上原謙の妻の役だったが主役は

姉を演じた高杉早苗だった

 

細雪」で大役を務め小津作品にも出演

 

1950年、新東宝は創立以来作品を

供給してきた東宝との関係を断ち

完全独立するとともに大作主義に転じ

当時としては破格の3800万円という

巨費を投じて谷崎潤一郎・原作の

細雪」を阿部豊監督で製作

大阪・船場の旧家の四人姉妹の運命を

描いた絢爛たる女性絵巻物で彼女は

花井蘭子。轟友起子、山根寿子に続く

末娘で事実上の主役である妙子に扮し

姉たちと正反対に行動的で

駆け落ちしたり男を変えたり

とかく生活が乱れがちだが

真実の愛を求めて地道な結婚に

倖せを見出す近代娘を力演した

 

(映画「細雪」より)

 

次いで松竹から招かれた

小津安二郎監督が大佛次郎

朝日新聞」連載小説を映画化した

「宗方姉妹」(1950年)に田中絹代

妹・満里子の役で出演

 

(映画「宗方姉妹」より)

 

しっくりいかない夫婦仲に

耐え続ける姉と男のように活発な

未婚の妹を中心に戦後の日本の家庭の

崩壊をテーマとした作品で

秀子は姉を昔の恋人に接近させながら

自分もその男に愛を打ち明け

姉夫婦の離婚をけしかけたりという

戦後派娘を大人になってから初めて

接した小津演出の厳しさに緊張しながらも

好演し、演技派女優として一歩前に出る

 

東宝を離れフリーへ

 

そしてこの「宗方姉妹」を新東宝での

最後の作品として1950年フリーとなる

女優生活に転機を画した

 

東宝退社の理由は、会社から受け取る

当時1本100万円の出演料が額面をはるかに

下回る額しか彼女に手に入らず

料金滞納で執達吏が押しかけたり

出演料その他の交渉も任せ、彼女の

マネージャー的存在だった新東宝

プロデューサー青柳信雄が1949年

松竹の木下恵介監督「破れ太鼓」に

阪東妻三郎の共演者として彼女を

当人の知らぬまままに出演させる

契約を松竹製作本部長と結び

300万円の出演料まで受け取って

いたという彼女にとっては寝耳に水の

事件が起こり、「破れ太鼓」出演は

木下と面談して解消、300万円も青柳が

返済することで一件落着したが

このことで新東宝にいることに嫌気が

さしたからで、新東宝との契約を専属から

年3本の本数契約切り替え、さらに

木下恵介監督から翌年撮影に入る

カルメン故郷に帰る」のヒロインとして

出演を申し込まれたことからついに

フリーになる決心をしたのである

 

(映画「カルメン故郷に帰る」より。左から2番目が高峰秀子

 

1950年フリーになって早々に

カルメン故郷に帰る」の撮影に入るが

スクリーンにはこの間、東宝

稲垣浩監督で琉球娘・奈美に扮して

大谷友右衛門と共演した「佐々木小次郎

(1950年)などが先に封切られて登場

 

記念すべき邦画初のカラー作品で好演

 

カルメン故郷に帰る」は1951年

日本最初のカラー映画として封切られる

 

彼女の役は少々頭の弱いストリッパーの

リリイ・カルメンことおさんで

仲間のマヤ・朱実(小林トシ子)をつれて

故郷の浅間山麓へ里帰りし

派手な服装と突飛な行動で牧場主の父や

校長先生のひんしゅくを買いながら

村の顔役におだてられて芸術家気取りで

ストリップショーまで演じ、出演料を

気前よく学校に寄付して意気揚々と

故郷をあとにするというペーソスの

味をからませた愉快な風刺喜劇として

好評を受け、彼女もリリイを天真爛漫

伸び伸びと演じて青春期最後を飾る

記念すべき作品となった

 

このあと松竹の中村登監督「我が家は楽し

東宝の「続佐々木小次郎」(1951年)の

2本に出演し、1951年6月にパリに出発する

続編へと続く

 

参照:

キネマ旬報社『日本映画俳優全集・女優編』