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昭和女優ファイル東映編➀佐久間良子~「初めて」づくしのパイオニア的女優~

 

佐久間良子プロフィール

 

佐久間良子は1939年2月24日

東京市板橋区中新井町(現・練馬区豊玉)に

一男二女の長女として生まれた

練馬区立開進大三小学校

お嬢様学校と呼ばれていた川村中学を経て

1954年に川村高校へ進む

女学校ながら後輩からラブレターをもらうなど

学校のマドンナであった

 

 

高校時代の仰天エピソード

 

高校時代「べっぴんの女の子がいる」

という評判が広がり

通学中の西武線などの駅のホームや車両に

男子学生や駅員まで多くの人が見に来たという

また駅員がずっとついてきて

怖くなって逃げるようにして

帰宅したこともあったという

 

学校に東映のスカウトが頻繁に来た

 

美少女の女学生がいるという噂は

通学途中にある東映撮影所まで伝わり

同社の重役が学校や自宅を訪れ

スカウトしに来るようになる

 

しかしそれまで映画というものを

見たことがなく

花嫁修業をして将来はお嫁に行く

自身も両親もただそれだけを考えていて

スカウトは思いもよらないことだった

 

両親も映画界のことをよく知らず

映画界入りを反対

しかし1年だけやってみようと

映画界入りを決意した

 

東映の女優としてデビュー!

 

形式的に受けた第7期ニューフェイス

補欠として合格し、半年間の研修期間中に

東映アニメの第1作『白蛇伝』(1958年)に

白蛇の精・白娘のモデルとして起用される

 

(佐久間さんをモデルとした「白蛇伝」の白娘)

 

1958年には佐伯清監督の「悶える青春」

の端役でついに映画初出演

 

デビューから何本も映画を掛け持ちし

東京撮影所と京都撮影所を往復する

そんな日々が続いた

 

だが出演する作品はヒロイン役ではあったが

男性スターに彩りを添える

その程度でしかなかった

 

この頃共演が多かったのは

中村賀津雄と江原真二郎だった

 

東映映画初の女優主演映画に出演!

 

男性の添え物のような役柄が続くことに

次第に物足りなさを感じるようになり

原作を読んで感激した純愛もの

『故郷は緑なりき』の映画化の話を

自ら会社に持ち込んで見事に実現

1961年、村山新治監督がメガホンを取り

自らが主演して持ち前の清楚な魅力を

大いに発揮

これは東映としては初めての

女優主演映画だった

 

任侠映画の先駆け作品に出演

 

1963年にはのちに東映を支える

任侠映画の走りとされる作品

『人生劇場・飛車角』で

鶴田浩二の情婦おとよを演じ

それまでの清純な役どころではない

汚れ役を演じて賞賛された

 

この映画の大ヒットで東映は以後

高倉健藤純子を起用した

任侠映画を量産することとなった

 

プライベートではこの頃

妻子ある鶴田との交際があった

 

芸映画で本格的な実力派女優へ

 

『人生劇場・飛車角』の大ヒットで

佐久間主演の映画が企画され

水上勉原作の『五番町夕霧楼』(1963年)

『越後つついし親不知』(1964年)などで

難役を体当たりで演じて評判となる

 

(代表作となった『五番町夕霧楼』)

 

TVドラマにも進出し平幹二郎と出会う

 

1967年にはNET『徳川の夫人たち』に

出演してお茶の間でも人気を得る

同年再びNET『皇女和の宮』では

平幹二郎と共演し交際へと発展

1970年に結婚する

一男一女の双子を出産

公私ともに充実するようになる

 

しかし映画の方は

このころから東映の任侠路線や

エロ時代劇全盛もあって

添え物の企画が続いて活躍の場が減り

東映の企画に不満をもつようになる

テレビの出演が多くなり

テレビ女優の印象が強くなる

 

女優初のNHK大河ドラマ主演に抜擢される!

 

1981年に放送されたNHK大河ドラマでは

女優としては初めての主演に抜擢される

役どころは豊臣秀吉の妻ねね

平均視聴率は30%を超え

相手役の西田敏行が妻を呼ぶ「おかか」が

流行語となった

 

大河ドラマおんな太閤記』)

 

舞台女優としても成功を収める

 

また舞台にも活躍の場を広げる

1969年には三島由紀夫原作

菊田一夫演出による『春の雪』で

初舞台を踏む

 

1983年の石井ふく子演出による

『唐人お吉』では菊田一夫演劇大賞

を受賞する

 

しかし翌年に平幹二郎と離婚

夫婦関係がギクシャクしたことが

長男の岳大がチック症を患うなど

子どもにも影響したことでの

離婚の決断だった

 

2001年に息子の岳大が俳優に!

 

2001年の舞台作品『鹿鳴館』で

17年ぶりに元夫・平幹二郎

夫婦役で共演

これだけでも驚きのことであったが

息子役には実の息子である

岳大さんが抜擢された

会社を辞めての俳優転身に

母親も驚き「演技の下地もないのに

医者を目指して勉強していたのに

無理だ」と思ったそう

 

しかし岳大は役を見事に演じ切り

その後は日本の映画やTVドラマで活躍

現在は海外に進出して

ヨーロッパやアメリカのTVドラマに出演

グローバルに活躍する俳優となった

 

一方、佐久間は2019年の

アメリカ映画出演を最後に活動がない

コロナ禍の影響と思われるが

これからの動きが待たれる

 

(雑誌「クロワッサン」2020年8月25日号より)

 

書道家としての顔も

 

佐久間良子は女優業だけでなく

書道家としての腕前も評価されている

1975年には日展に入選

以後定期的に個展を開き

2000年には毎日書道展毎日賞を受賞

2008年にはニューヨークでも個展を開いた

 

女優・佐久間良子の功績と魅力(女優として)

 

佐久間良子さんの功績は表題の通り

「女優として初めて」というお仕事が多く

道を切り開いたパイオニア的女優

であることだと思います

 

東映アニメの第一作という

日本のアニメ史上重要な作品で

モデルとして起用され

日本アニメの発展に寄与

 

『故郷は緑なりき』の映画化を自ら希望し

東映初の女優主演映画を実現させ

『人生劇場・飛車角』は

東映任侠映画の先駆け作品となり

東映という映画会社の方向性を

確立するきっかけを作りました

 

何しろこの後ヤクザものは東映

大黒柱となるのですから

1960年代は高倉健さんなどの任侠映画

1970年代はバイオレンス的要素の強い

仁義なき戦い』などの実録やくざ映画

1980年代になると『極妻』シリーズで

今度は女優主体のヤクザ映画を作りました

(1960年代も藤純子さんの任侠ものが

ありましたが)

 

東映という映画会社の歴史を追うとき

ヤクザものは絶対に外せないのです

ただそうした路線が佐久間さんの

活躍の場を結果的に狭めてしまい

会社を去ることになるのですが

 

しかしTVドラマや舞台では

活躍の場があったことが

佐久間さんの女優人生を

より豊かなものとしましたね

 

NHK大河ドラマ

女優として初めて主演を務めるという

後に続く女優さんへの橋渡しをした

この貢献度も大きいでしょう

 

女優さんとしての魅力は

新人時代の清純な初々しい雰囲気から

キャリアを重ねていくうちに

任侠ものや文芸ものなどで

演技の力を確かなものにして

貫禄のあるスケールの大きな

ハリウッド女優さんに負けない

存在感があることでしょう

 

あとは何といっても

全身からにじみ出る気品でしょう

佐久間さんの上品な魅力は

多くの人を引き付ける力があると思います

 

女優・佐久間良子の功績と魅力(女性として)

 

佐久間さんの生き方

女優業もこなしながら

恋をして結婚、出産を経ても

子育てをしながら

女優のお仕事を続けられたこと

そして立派なお子さんを育てたこと

これは現代の女性にはとりわけ

魅力的に映るのではないでしょうか

 

男性の私から見ると

就くことなど考えもしなかった

女優というお仕事を

高いプロ意識をもって

長年続けられていることに

尊敬の念を抱かずにはいられません

 

1年だけやるつもりが

惰性でお仕事をするでもなく

自ら企画を持ち込んだりするのは

お仕事に情熱をもっていた

そして女優というお仕事が

佐久間さんに合っていたのでしょう

だからキャリアも長くなったのだと

思います

 

なのでやりたい仕事=向いている

とは限らないのではないかなと

最初の仕事選びに失敗した私は

よく考えるのですが

それはここでは置いておきます

 

とにもかくにも

私にとっては佐久間良子さんは

女優さんとしても人としても

永遠の憧れの存在ですね

 

長くなりましたが以上です

 

参照:

2017年放送BS朝日「ザ・インタビュー」

『日本映画俳優全集・女優編』キネマ旬報社

 

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