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昭和女優ファイル大映編②京マチ子(キャリア晩年)~映画だけでなくTVドラマや舞台でも活躍~

 

前回からの続きです

 

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4回目となる今回は映画で主演と助演で

活躍し、コメディエンヌとしての才能を

開花させたり、大映倒産後も他社作品で

存在感溢れる演技を見せるなど

映画女優としての活躍だけでなく

TVや舞台でも活躍したキャリアの晩年に

迫ります

 

京マチ子プロフィール(続き)

 

 

「鍵」や「ぼんち」が高い評価を得る

 

「グランプリ女優の限界?」などと

書かれたのはそれだけ京マチ子に対する

周囲の期待の大きさの表れだった

 

1959年の市川崑監督との再度の顔合わせに

よる「鍵」では、勢力がとみに衰え

若返り注射などをしている老境の夫の若い

後妻で、夫の娘の婚約者と仲よくなる一方

無邪気で貞節な女性を主演

 

(映画「鍵」より)

 

夫を演じた中村鴈次郎の巧さともよく

噛み合って、単純な熱演とは違った

抑えた演技のなかからユーモアを

滲みださせ、このブラックコメディを

面白くするのに大きな役割を果たした

 

この彼女が見せた演技者としての円味は

1960年の同じ市川崑監督の「ぼんち」で

一層くっきりと見られるようになる

 

祖母と母が実権を握る大阪・船場の老舗の

1人息子の一代記を市川雷蔵が主演した

作品だが、彼女は料亭の仲居頭に扮し

妾が死んでも、しきたりから葬式を出して

やれずに男泣きに泣く主人公を見て自分の

体を投げ出して慰めるという働き者で

粋な女性を好演

彼女が本来持っている庶民的で律儀な性格を

にじませたものとして魅力的だった

 

小津安二郎監督作品に出演

 

次いで小津安二郎監督が大映で撮った唯一の

作品である「浮草」(1959年)に出演

 

田舎の巡業先で情夫の座頭が昔の女と

会っているのを知って嫉妬し、女の家まで

押しかけて行って、土砂降りの雨の道を

はさんで、道の両側の軒下と軒下で

中村鴈治郎演じる座頭と罵り合う

これは熱演であると同時に、そこに

何とも言えないうま味が加わっていて

成熟した絶品ともいえる名演であり

35歳という年齢と10年間のキャリアを

フルに発揮したものであった

 

「ぼんち」を撮り終えたあとの1960年

「鍵」が出品されたカンヌ映画祭への

出席を兼ねてヨーロッパ、アメリカ旅行に出発

 

「鍵」はグランプリに次ぐ審査員賞特別賞を受賞

 

これはまたハリウッド外人記者協会の

ゴールデン・グローブ賞の最優秀外国映画賞

にも選ばれ、彼女はロサンゼルスでその

トロフィーを自ら受け取って帰国した

 

コメディエンヌとしての才能を発揮

 

その後の彼女は、大抵の作品が若い女優を

主役とする日本映画ではさすがにチャンスは

減ったものの、増村保造監督の軽快な喜劇

「足にさわった女」(1959年)に刑事役の

ハナ肇と組んで女スリを伸び伸びと好演

 

 

 

 

吉村公三郎監督の喜劇「婚期」(1961年)では

婿探しを焦る2人の小姑にいびられ悩まされる

人妻をコミカルに演じて笑いを誘い

ポーカー・フェイス型のコメディエンヌとして

精彩を発揮

 

1961年は胆のう炎で7か月の静養を余儀なくされ

この間は70ミリの大作「釈迦」につきあい程度に

出演したのみだったが、1962年早々には

井上梅次監督の「黒蜥蜴」にブラック・タイツ姿の

女賊で元気な姿を見せた

 

以後、、彼女にふさわしい企画がないまま

出演本数はぐっと減るが、増村保造監督

女の一生」(1962年)では文学座

杉村春子が当たり役とした主人公・布引けいに

挑戦、減量して16歳から58歳までを演じ

批評はそれほどよくはなかったが

意欲は十分に買われた

 

舞台業・TVドラマに進出

 

大映のトップ女優は1962年を境に

山本富士子をも抜いた若尾文子に交代

そうしたなかで京マチ子は1963年に

若尾文子主演の「女系家族」に出演したのみで

4か月間の海外旅行に出発

帰国後は大阪・新歌舞伎座開場5周年

記念興行の「舞踊・春秋」「大阪物語

誓文払い」「雪乙女」「馬賊芸者」に

出演する

 

舞台はOSK退団後は1955年に古巣の

大阪劇場のレビュー「世界を踊る女王」に

出ただけだったが、新歌舞伎座出演を機会に

大映の了解のもとに舞台、TVへ積極的に

進出、映画も他社出演に随時応じると

それまでの大映の箱入り娘から一転

新しい道を歩むようになる

 

TV出演の最初は1967年のフジ「一千万人の

劇場」のために書き下ろした水木洋子脚本の

「あぶら照り」で、これが同年東京映画で

豊田四郎監督により「甘い汗」の題で

映画化されることになり、TVと同様に彼女が

主演に望まれ、第1回の他社出演となるが

これは体当たり熱演タイプの彼女の芸風を

とことん発揮した力作となった

 

19歳で私生児を産み、家族の犠牲となって

生活のために必死になって稼ごうとする

下層のいっぱい飲み屋の女の役で

妾でも何でもなって色気で金を得たいが

その色気が36歳という年齢からあまり

役に立たなくなっているという辛さで

焦りに焦る

 

ごみごみとした風景のなかでの

泥まみれの力演は高く評価され

キネマ旬報女優賞と毎日映画コンクール

女優主演賞が贈られる見事な結果となった

 

(映画「甘い汗」より佐田啓二さん(右)と)

 

水木洋子はその後もNHK「豆菊はんと雛菊はん」

フジ「朝顔」、TBS「三界に家なし」など

京マチ子主演のTVドラマを書き

そこでは力演型というよりもむしろ

むしろ何気なくぼんやりしているような

態度のなかからユーモアを滲み出させるという

京マチ子のコメディエンヌとしての力量を

さらに発展させるのに成功している

 

そうした彼女の新しい持ち味を生かした

映画に、勅使川原宏監督の「他人の顔」

(1966年)があり、大火傷を負ったことから

医者に仮面を作ってもらい他人の顔に

なった男に、それが自分の夫だと知りながら

わざと姦通される女を奇妙な味わいを持って

好演した

 

山本薩夫監督作品や寅さんシリーズで存在感を発揮

 

1971年の大映倒産後は大映テレビに所属

1974年と75年には山本薩夫監督の財界と

政界の裏面をえぐった2本の大作に出演

その「華麗なる一族」(1974年)では

佐分利信扮する銀行頭取の秘書であり

愛人でもある高慢な女の役で妻妾同時に

ベッドをともにするという大胆なシーンも

演じのけ、「金環食」(1975年)では

隠微な権力を振るう首相夫人に冷酷な

一面をちらりとのぞかせ、出演場面こそ

少ないが、印象的だった

 

(映画「華麗なる一族」より。いちばん左が京マチ子

 

また今井正監督の「妖婆」(1976年)では

久しぶりに主演し、初々しい新妻から一転

妖婆に変身するという女主人公を演じた

 

同年には「男はつらいよ・寅次郎純情詩集」で

寅さんのマドンナとしていかにもおっとりした

元ご大家の令嬢に持ち味を見せた

 

以後は舞台とTVドラマの出演が多くなる

 

かつて1957年に黒澤明は彼女について

非常に純情で地味な感じの人だし

結婚すればいい世話女房になるという

気がする」と語ったが、彼女自身は

結婚することなく、生涯独身を通した

 

近年は表舞台に出ることがなかったが

2019年5月12日に心不全のため死去

95歳という大往生であった

 

国際的な知名度の高さから

海外メディアも彼女の死を報じた

 

www3.nhk.or.jp

 

www.nytimes.com

 

参照:

キネマ旬報社「日本映画俳優全集・女優編」

 

なおこの記事は最終回へと続きます

 

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