昭和寅次郎の昭和レトロブログ

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結婚しておめでた!のストーリーではない"小津調"婚活物語!昭和の結婚映画②「麦秋」

 

※この記事では映画の結末部分まで触れています

ネタバレを回避したい方はネタバレなしの

レビューをご覧になることをオススメします

 

昭和の結婚映画第2弾は小津作品!

 

前回の成瀬巳喜男監督「禍福」の

紹介記事では戦前の結婚事情について

書きましたが、今回紹介するのは

戦後の作品で、結婚の在り方にも

変化が出ています

 

取り上げる作品は小津安二郎監督の

麦秋(1951年)です!

 

(映画「麦秋」より。三宅邦子さん(左)と原節子さん(右))

 

タイトルの読み方は「むぎあき」ではなく

「ばくしゅう」と読み、また「秋」

という字が入っていますが

「初夏」のことを意味する言葉です

 

この映画紹介シリーズでは小津監督の

作品がよく出てきますね~

 

まぁそれだけ多くの優れた作品を

作られたということでしょう

 

では本題に入ります

 

おおまかなストーリー

 

北鎌倉に住む間宮家

その長女・紀子(原節子)は

タイピストとして働いており

同じフロアで仕事をしている

専務(佐野周二)はそんな紀子に

縁談を持ち込む

なかなかいい話らしい

 

兄(笠智衆)はそんな紀子の結婚について

心配しており、兄を中心に家族で

紀子の結婚について話し合いが行われ

専務が持ち込んだ縁談を進めようとする

 

しかしあるとき高校からの知り合いで

仕事で秋田に行くことに決めた矢部の

家を訪れたときに、矢部の母から

紀子のような人に息子の嫁になって欲しいと

言われると紀子はその場でその話を

承諾し、矢部との結婚を決める

 

家では兄を中心に「本当にそれでいいのか?」

と矢部との突然の結婚話について

あれこれ言われるが、紀子の意思は

変わることはなかった

 

映画の感想

➀戦後からわずか6年での結婚事情の変化に驚き!

 

職場の上司が女性社員に縁談を

持ち込むというのは昭和の映画や

TVドラマではおなじみの光景ですが

それはもっと時代が経ってからだと

思っていたのですが、この映画の公開は

終戦からわずか6年後の1951年

 

これだけの歳月でもうそのようなことが

会社で行われていたことに驚きました

 

しかも紀子は結果的にはその縁談を断り

かねてからの知り合いとの結婚を選び

それが許されてしまうのですから

前回紹介した「禍福」での価値観が

ガラッと変わって家の事情だけでなく

個人の意思が尊重されたのです

 

まぁ軍国主義の教育を行っていた学校も

終戦を境に「これからは民主主義の時代です」

と180度違う教育をすぐにやっていたと

考えるとわからなくはないですが

それにしても時代の変化の早さに

驚かされます

 

しかしこの時代はまだまだお見合い結婚が

多数を占めていて、全体の半数以上

時代であったことを付記しておきます

(下のサイトを参照)

 

toyokeizai.net

 

そのため原節子さんが縁談を断り

違う人と結婚するというのは

当時としては異例のことなのです

 

②ディテールが面白いコミカルな作風がいい

 

この映画は小津作品のなかで

「紀子3部作」と呼ばれる作品の1つで

(3作とも原節子さん演じる女性が

紀子という名前であるため)

あとの2作品は「晩春」(1949年)と

東京物語」(1953年)なのですが

この2作は割とシリアス調なのに対し

麦秋」はユーモアが随所に

散りばめられています

 

たとえば、子どもたちがおじいさんに

キャラメルを包み紙ごと渡すと

おじいさんは紙ごと食べてしまうところ

など子どもたちの行動の面白さ

 

 

また淡島千景さんと原節子さんの

未婚2人組が既婚2人組と

結婚についてあれこれ言い合う場面

 

そして何といっても

淡島千景さんと原節子さんが

東北弁で会話する軽妙なやり取りが

何とも微笑ましいです

 

③いまと変わらない鎌倉の光景に驚き!

 

冒頭で映る北鎌倉駅が現在とほとんど

変わらない形で出てくることに驚きます

 

なので北鎌倉駅に降り立てば

この映画の世界を感じることができるのです

 

さすがは古都・鎌倉ですね!

 

大仏様もまったく変わっていません

 

 

④28歳で「売れ残り」とされる結婚観!

 

この頃は女性の結婚はとても早く

28歳の設定の原節子さんは

映画のなかで繰り返し「もう(お嫁に)

行かなきゃ」と言われます

 

この時代どころか、山田太一さん.脚本の

TVドラマ「想い出づくり」(1981年)の

ヒントになった?本『ゆれる24歳』が

ベストセラーになったのは1977年ですから

昨今の晩婚化になるまでには

何十年も早婚?だったのです

 

それから原節子さんの台詞

40歳になってもブラブラしているような

男性は信用できない」というのは

耳が痛かったですね(笑)

 

私はそろそろアラフォーになるので…

 

初めてこの映画を見た21歳くらいのときは

何気なくこの台詞を聞いていたのですけどね

 

⑤あえて「見せない」演出が新鮮

 

この映画では娘の結婚をテーマにしているのに

晴れの結婚式のシーンがありません

 

またお見合い相手が原節子さんの家を

訪れたときも、淡島千景さんと

原節子さんで一緒にどんな人か見に行く

というシーンはあっても

肝心のお見合い相手の姿を見せないのです

 

これはお見合い相手は断られた人物で

重要ではないから見せる必要がないということで

省略したのでしょうか

 

また結婚式のシーンがないのは

一家から娘がいなくなって

寂しくなった家族を強調するためでしょうか

 

小津監督の映画ではこういう

あえて見せない演出が多々見られるのが

特徴なのですが新鮮に映りますね

 

小津監督にはまた戦後の作品に

この手の娘が嫁に行く話が多いのですが

どれも結婚してめでたし、めでたしという

作品作りにはなっていなくて

家族がバラバラになっていくことが描かれ

すべては無に帰するんだよとでも言いたげな

日本特有のわび・さびを感じさせるような

世界観も特徴的ですね

 

ちなみに北鎌倉にある小津監督のお墓には

たった一文字「無」が刻まれています

 

⑥結婚相手は日活映画で悪役を演じる二本柳寛さん!

 

原節子さんの結婚相手を演じるのは

その後、数々の日活映画で

悪役をやる二本柳寛さんというのが

昭和映画ファンの私としては

何とも驚きです(笑)

 

映画を見ながら何か悪いことを

しでかすのではないかと思ったり(笑)

 

善良な役より悪役のイメージの方が

より人の印象に残るのでしょうか

 

⑦1951年という時代にして900円のケーキを食べる!

 

原節子さんと淡島千景さんと

二本柳寛さんでショートケーキを

食べるシーンがあるのですが

何と値段が900円なのです!

 

当時としては信じられないような

高い値段です!

 

この時代の物価を見てみますと

国家公務員の初任給が1949年時点で

4223円です

 

それから1950年時点で牛肉とバターが200円程度

チョコレートでさえも230円くらいです

(下のサイトを参照)

 

www.businessinsider.jp

 

原節子さんらの間宮家が

どれだけ裕福な家庭だったかがわかります

驚きですね!

 

というわけで映画の感想から

当時の結婚事情や物価事情まで(笑)

いろいろと書いてきたわけですが

感じるのはやはりGHQによる一連の

改革は結婚も含めて日本という国を

ガラッと変えさせたのだなぁということですね

 

次回の第3弾の作品は

またちょこっと時代が変わります

 

ではまた次回